社長コラム 大田花き代表取締役社長 磯村信夫のコラム

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2023年05月29日

首都圏市場、再編成の流れ


 私が学生の頃だからもう50年以上も前のことだが、東京には花市場の組合が4つあった。現在は1つにまとまっているが、統合したのにはきっかけがある。4つの内の一つ、父・民夫が理事長をしていた「東京都花き市場協同組合」で、農林水産省の花き担当とオランダ・ドイツの調査へ行ったことがある。理事長は大森園芸(現・大田花き)の磯村民夫。副理事長は経理を担当する芝生花の鈴木豊太さん(オランダでもドイツでも、鈴木豊太さんは凄くモテた。自動車の輸出が始まった時期だったので、「スズキ」とか「トヨタ」と聞くと、みんなこの人は大金持ちに違いないと思ったからだろう)。専務は王子生花の沢崎新之助さん。そして駒込生花の樋口利一さん、大久保生花の諸井一男さんと学生の私がメンバーであった。その調査でオランダ・ドイツを見て、組合ではなく一つの会社にまとまらなければならないと判断したのだ。その結果、練馬に西武園芸という市場を作り本社を置いた。また、上野毛に南部市場を作り、そこは旧芝生花の担当とした。王子生花は向島東印花市場(現東京フラワーポート)、駒込生花は松戸の京葉園芸(現在は廃業し、社員は東京の第一花きが経営する子会社・柏園芸に入社)、大久保生花は山梨の甲府中央市場、東印神奈川(後の神奈川県園芸市場)は大森園芸が面倒を見ることとなっていた。その後、鹿浜橋にあった共同荷受所を廃業し(かつての東京の4組合と、経済連・全農県本部が出資をして運営していた会社。この共同荷受所があるとかえって共選共販が進まないと、経済連・全農県本部が直接の運営をやめたいと言ってきたため、父・民夫が「だったら西武園芸を共同荷受けとして利用するのはどうか。共同荷受け作業が終わってから西武園芸市場を運営すれば良い」と発案)、4つの組合が1つになっていったのだ。

 もう一つ、組合が1つになったきっかけがある。東京都が開設者として、中央卸売市場の中に花き部を作ることを正式決定したことだ。これで都内に支店を配置する会社「新日本園芸」の意味が無くなった。はじめに北足立市場に花き部を併設、北の方の花市場はそこに合併して入場した。二番目が大田で城南地域の市場が入場し、三番目は板橋で城西地区の花市場が入場した。四番目は葛西で、城東地区の花市場が入場した。もう一つ五番目の花き市場として、人口が増えてきた世田谷地区で青果市場に併設された。当時の独占禁止法で切花・鉢物を扱う卸売会社が2社入場していないといけないルールだったため、世田谷を除き既存の卸売会社が合併し、二社が入場する形となった。その後、独占禁止法もルールが変わり、場内で競争をするとかえって集荷力・販売力が劣ると判断され、葛西、次いで板橋は強い一社体制になり、北足立では一つの卸売会社が営業をとりやめて、ここも一社体制となった。大田は二社体制を維持、世田谷も切り花市場と鉢物市場がそれぞれ分かれて入場していたため、二社体制のまま現在に至っている。

 東京の中央卸売市場花き部は殆ど県境にあり、いずれも高速道路のすぐそばで、交通の便を考えたところに作られている。従って、葛西市場の花き部が出来た時、千葉市の地元中核市場が廃業した。茨城県は土浦、そして水戸を中心に市場がまだいくつかあるが、花束加工や仲卸業務の比率が少なく、本来の卸売市場の業務だけで運営している会社は水戸の一社しか無い。ここも早く力をつけて、まずは20億円。将来は30億規模の取扱い金額を誇る市場になって欲しいと思う。首都圏の栃木・宇都宮も同様の動きだが、ここは健全経営そのものだ。現在、市場間ネットワークを通じて攻めに転じており、早い段階で20億規模、将来30億円規模の取扱い金額を超えるよう、力を蓄えつつある。ちょうど、宇都宮の青果市場2社が合併し、地方の中央卸売市場として気を吐いている形に倣って進んでいっていると思われる。群馬県は、嘗ては市場数が多く、高崎を中心に中核市場といえる状況があった。それが現在、分散化の一途を辿り新たな局面を迎えている。特に小売店から期待されているのが場外仲卸の一社で、どこが群馬県の流通拠点として群馬県の花き流通を支えるのか、県内で考えておかなければならなくなってきている。山梨県では、甲府中央花市場が廃業し山梨園芸1社となった。ここに山梨県の花き流通を集中させる必要がある。山梨園芸と多摩地域の都内市場、あるいは、山梨を越えた中央線沿線の松本花市場、そして、ルートが清水から山梨に入る道は開けて近いので、清水の市場、これらを調整しながらも、山梨園芸が直接産地から荷を呼べるだけの力を持つ必要がある。そして、その保管業務としてのネットワークは恐らく、中央線沿線の路線の関係で松本花市場と組むことが、地方市場間のネットワークで良いのではないかと考えている。静岡はかなり整理整頓が進んでおり、埼玉県も川越、熊谷、そして鴻巣と埼玉園芸、この4つがそれぞれの地域を代表する市場になっている。そして神奈川県だが、東名外環道を中心に関東平野の西の窓口、厚木の南関東花き園芸卸売市場が一つの中核市場だ。そしてもう一社は恐らく、横浜の南部市場で、三浦半島、湘南エリアであろう。この市場は大田市場から30分あまりと近く、横浜本場青果と水産、一部食肉もある。こことのせめぎ合いと棲み分けの関係にある。青果も一社今年廃業し、一社体制になった。花も一社体制にして横浜独特の、あるいは、横須賀、湘南独特の花をどう集荷し販売するかが今一つの焦点になっている。ここもここ一、二年で一社体制の方向性が出来ると思う。

 長野、新潟、静岡、場合によっては愛知まで含め、卸売市場の数は少なくなる。団塊世代が花づくりをやめ、団塊ジュニアが50歳以上になり、その子どもたちが今、就職期にある。大田花きには花の生産者の子弟である人も入社試験にやってくることもある。そこで感じるのは、大田花きで働き、学んで、将来花づくりになるという明確な意識を持っている人が決して多くないことだ。国内生産が減っている。さらに減る可能性もある。円が安いから輸入品で補うことも難しいであろう。現地のレイバーコストも上がっているし、生活水準も良くなっているはずだ。こう考えると、2025年までには、少子高齢化の中でも持続的に発展出来るスタイルを各県で、あるいは、卸売市場業界の中で作っていかなければならない。その目途が関東地方ではつきつつあると感じる。各県・地方自治体で明確な方向性がついていないところがあれば、その地域の卸売市場の社長さんは是非とも県に働きかけ、将来の農業構想、花き生産構想、そして、花の地域の需要と業態のあり方を話し合ってもらい、その上で市場をどうすべきか、県としての意見を一緒に作り上げてもらいたい。もし、量販店の売り場だけで良いというのであれば、例えば東京であれば、300キロ圏内は十分に東京市場で供給できる。しかし問題は、地域文化は専門店が担っていることが多いことだ。規模の大きくない専門店が運賃をかけて商品を引いたり、買いにいくことは難しいだろう。年商約3,000万円の花店が仕入れ難民にならないようにすることが、市場の役割である。ここを考えて、早めに青写真を県と共有をしてもらいたい。生産の減り方は今までのようにゆっくりというわけにはいかない。

投稿者 磯村信夫  15:50