社長コラム 大田花き代表取締役社長 磯村信夫のコラム

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2018年10月01日

間違えた時期に出荷しなければ、花の価値は目減りしない


 今朝のセリ前の花材紹介で、枝物担当の池上君が紅葉ヒペリカムを紹介していた。枝物は店頭に置いておいてもロスが少ないし、しかも、自然調で店を引き立てる。枝物だけを花束にしたものが店頭で売られているが、20代から70代まで幅広い年代の人に需要がある。もっと需要を広める為には、特に40代以下の人たちに色々な枝物を知ってもらうことが必要だ。お花屋さんには、是非ともこれからもご活用頂き、一般の方々に枝物の花束の魅力を伝えていってもらいたい。

 首都圏でも在(ざい)の花屋さんから、「売れるのは都心部で、こちらではまだ売れません」と言われることがある。「ためしにやって御覧なさい」と言って売ってもらうと、「売れました」と報告を頂く。また、JFTDのジャパンカップを見ていると、都市部の花屋さんだけでなく、地方の優勝者も多い。即ち、みんなシャープなセンスがあり、地元に根付く文化以外は概ね同じような美意識で生活をしているということだ。その意味では、日本に「田舎くさい」の田舎は無い(あるのは“ふる里”だ)。大田花きを利用される花屋さんで売れている商品を紹介すると、地方でも大体売れる。今はもう、都心と地方で流行の時間差はあまりない。そんな風に感じるのである(だが文化は違う)。

 こういった考えで2018年上期の需給バランスを見ると、生産には大変厳しい天候で供給不足であった。切花では、世界中で流通している菊類、バラ、カーネーションの三品目は、各国で出荷量が少なければ、輸入してでも需要を満たそうとする。日本の場合、国内生産の需要がしっかり見える菊ですら供給量が少なくなってきた。これが、この上半期で露見された事象である。さらに、他の季節の草花も、鉢物も少なかった。

 花き・植木の小売業者の数は、ピーク時には約三万軒あったものが、今は約一万五千軒だ。もちろん、スーパーもホームセンターも、雑貨屋さんも家具屋さんも、また直売所でも花や緑を売っている。しかし、物日以外の普段の花売り場面積は減少している。かつて街から八百屋さんや果物屋さんが無くなった時、家庭で食べる野菜や果物はスーパーマーケットが補完していた。すなわち、売り場面積は減っていない。花の場合、街から花屋さんが無くなると、物日の時にはスーパー他の売り場面積が広がるが、通常時は小さい。花きがスーパーの全売上の1%にも達しないからだ。物日以外の通常時にもっと売れる売場を作る努力をしなければならない。

 売り場面積が狭まる中で、更に供給も減ってしまったことがこの上半期ではっきりした。これを解決する為には、切花の三大品目や鉢物のアジサイ等、メインのものを、もっと出荷してもらう運動を行う。更に、日本の良さは、枝物はじめ季節を感じさせるものであるから、農協や地元の卸売市場、県の花き専門普及員が、そういった品目の面積拡大、生産拡大を働きかける。生産者の皆様は「そんなこと言ったって今まで安かったじゃない」と言うかもしれない。「今年はまだ油も高そうだし」。こんな風にもおっしゃるだろう。しかし、消費地の市場や小売店は、生産出荷が少ない現在の流れに危機感を持っている。是非とも、生産の持続と拡大をお願いしたい。

 卸売市場だけでなく、地元の系統農業機関や金融機関も社会的な役割を担っていると考えている。地元の社会資本(=ソーシャルキャピタル)なのだ。従って、それぞれの機関は地元の花屋さんやスーパーの花売り場がもっと繁盛するよう一緒に考え、様々な企画をもって地元の消費者にアピールできるようにしなければならない。まず、企画力、そして販売支援だ。場合によっては、労力、資金も必要になるだろう。さらに、地元の農家に対する支援もまた同様だ。農協の花き部会に入っている人もいれば、個人で出荷している人もいるだろう。この方々に対して強い働きかけをすることだ。一緒に生産をする位の気持ちで支援をお願いしたい。

 切花でも鉢物でも、主品目を作っている大産地にお願いしたいのは、物流コストも上がっているが、極力採算を合わせて日本各所の主要市場に直接荷を送ってもらいたいということだ。食事で言えば、ご飯やパン、お蕎麦やスパケッティ等のようなベースになる品目は、直接大産地と全国の主要市場間で取引をしてもらいたい。そうしないと卸売市場は取扱金額が大きくならないし、地元の小売業者の役に立てないからだ。そして、それ以外の品目において定番で使うものについては、卸売市場は極力自分で集荷販売する。たまにしか使わないものは、需要期に合わせて作ってもらう。また、市場間ネットワークで集荷・販売する。このように全国の地域主要市場は、自立性を持って花や緑を流通させることが好ましい。

 金融機関の勉強をしていると、確かに数の調整は必要だが、日本だけが金融機関が特別多いのではないことが分かる。アメリカもヨーロッパも数は多くある。では何故数が多くあるのか。それは個々の仕事のやり方が違い、顧客に密着しているからだ。日本は、例えば商店街と言えば、かつては「何とか銀座」ばかりだった。それが通用したのは、高度経済成長の“いけいけドンドン”の時だ。今生き残るためには、地元のために、花の小売業者、花き園芸農家や地元の消費者に尽くす。顧客と共に伸びるこのような生き方が出来れば、同じビジネスモデルでは無くなり、その事業体は生き残れるのではないだろうか。我々卸には、商流と物流、情報流(この中には企画力もある)、そして、資金流。この4つの今まで磨いてきた得意なサービスがある。この四つを使ってやっていくということである。「卸売市場の生き残りのために」と言うのはおかしいかもしれない。産地や小売店に役立っているから、役立とうとしているから生き残る価値があるし、生き残れるのである。そう思う次第である。

投稿者 磯村信夫 16:39