社長コラム 大田花き代表取締役社長 磯村信夫のコラム

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2022年10月31日

生産者も小売店もサプライチェーンを意識して仕事をするのが今の仕事の仕方


 先週、東京ビッグサイトで第4回フローラル・イノベーション2022の展示会が行われた。生産、卸、仲卸、ブーケメーカー、量販店の全国規模においてかなりの取扱いがある会社で構成されているフラワー需給マッチング協議会が展示会に出展し、大田花き花の生活研究所がその業務を請け負った。DXだけでなく、サプライチェーン全体で無駄を排除し、環境にやさしい流通をすべく生活者に花を渡すまでの合理化を考えていく事やその実例などを展示し、ぜひともサプライチェーン上で物事を考えるように提案した。

 同じ週の金曜日に、花の国が主催するフラワーサミット2022が開催された。荷が少ない中、地元の市場でいつまで荷揃えができるのかを話し合った。相変わらず20世紀と同じやり方をしている生産者(出荷者個人、農事法人、系統農協)輸入商社、運送店、卸、仲卸、花束加工業者、専門店、専門店チェーン、量販店、この売り手と買い手が荷物が足りない中、特に足元の2025年までどのような変化を起こすか。それによって量販店も花束加工業者も専門店も地元の市場で荷が揃う、そのためにはこうしたら良いのではないかという示唆めいたものを展開した。少なくとも何もせず今まで通りなら所得は減るし、買参人は荷が揃わない。その事を理解し危機感を持って変わっていく事を、できれば決心、少なくともこの場では考えてもらうきっかけを作ったつもりだ。

 また、同時期に千葉県で生産者が集まり市場を呼んでの商談会が開かれた。その内容を参加した社員から聞いて心配になった。なぜ今までどおり単なる個人出荷ではいけないのか、今までといっても昔ながら、少なくともリーマンショック前や3.11前くらいまで通用したやり方がだめなのかをここで話をしたい。荷の絶対量が少ないのに出荷先の市場がいっぱいある、これは出荷者のポジションを高くし、ちやほやされる。でも今は、出荷をするという事は、そこからお金をもらえなければならないから、それぞれの市場や中央市場であったら、仲卸の財務体質も知っておかなければならない。しかし、財務体質が黒字だったら出荷する、といったことだけではだめだ。どんな買参人がいてそのお店は今後共伸びる可能性があるかどうか、天候の具合で需要期をはずして出荷しても品質が良ければ一定レベルで買い支えてくれるだけの力があるか、その会社の哲学は何か、社員の質はどうか、運送店は今後共運んでくれるのか、自分がどのぐらいの質と量の物を出荷すればその店のその市場の力ある買参人が自分の荷を使ってくれるのか、即ち最も大切な顧客内シェアを自分の作っている品目で高いレベルまで満たせるのか。生産者は、これらを検討していかないといけない。

 将来5Gになった時POSに近い情報が自分で取れるか、また、日々の出荷データによってその卸売市場は上手に自分の荷を使用目的別の買参人に的確に分配できるか、そして分配された買参人は自分の荷を評価してひとつの運命共同体と考えてくれるか。このサプライチェーン上の問題、まずひとつは生産費用高。買い手の皆様方は2割から3割の仕入れ価格が上がっているが、今のところ消費者に小売価格を転嫁できているのは約半分、残りは小売店や花束加工業者が背負っており、これは大変苦しいところだ。それを一緒になってどうすれば割高感を感じさせず、実質値上げができるか考えなければならない。まずはトータルのサプライチェーン上の無駄の排除、荷姿の簡素化、情報の的確化。分かり易く海老で言えば、小さな車海老は天ぷら屋に、一定の大きさの海老は寿司屋に、大きければフライに、とこの様に用途が明らかに分かれるのと同様で、多岐に渡る買参人がその市場にいて、自分の荷がどこに行っているという事が明確に分かる事が、やりがいに繋がる。そこからお金が巡り巡って来ているという事を意識して、買い手と相談して来年の作付けやら時期などを決めていく、この作業が出来ない限りは意味がない。それができなければ、自分のためだけにしか仕事をしていないという事だ。人を幸せにするために花を作っているというのに、自分の事しか考えていない事である。それでも良かった時代は、21世紀始めまでで、言うならば昭和か20世紀のやり方だ。こういう考え方でまだその千葉県の展示会が開催されているという事に大変危機感を覚えた。

 市場は、このようなかたちで日本式市場が出来上がった。かつて日本橋は卸ばかりで、当時は問屋と言われる卸が軒を連ねていた、これが日本橋の魚河岸だ。アナゴが取れたその漁師はいつもの得意先のその問屋だけに卸す、その問屋の顧客には、天ぷら屋が多く、天ぷら屋のアナゴのサイズは三分の二で、残り三分の一はちょっと大きい。これは余らせてしまうなぁと思う。でもその大きめなサイズは寿司屋にはもってこいだ。こんなことが続き、じゃあ俺たちの前に大卸を作ろうと卸である問屋は考えて大卸を作ってそこへ出荷してもらうことにした。俺の店はそこから買う、そうすると、交通でもわかるがタクシーよりもバスの方がCO2排出量も少なく移動台数は少ない。即ち取引数も少なくなる、これは物流も少なくなるという事だ。こうして卸と大卸この2つで市場ということになった。

 この日本式卸売市場システムを使っているから小さな荷主大きな荷主、小さな買い手大きな買い手も全て日本では卸売市場を利用する事が出来る。卸だけの場合(仲卸だけの市場の場合)、ビッグビジネスになった量販店は、日本でいう仲卸規模の取扱数量だけでは荷が足りない。自分で荷を集める部署を外に作るか内在化するかしている。量販店をも市場を利用するのは日本と、日本式卸売市場を取り入れている日本が統治していた韓国と台湾のこの3か国だけだ。青果で取扱い金額200億円、花で20億円ないと手間暇と物流コストが掛かり過ぎる。生産者も買い手の小売店も結局手取りが少なくなるという。ここ日本の卸売市場の場合には合併で大きくしたりと市場間ネットワークでどうにかしようとしている。それだけではなく、サプライチェーンを意識して、規模の小さい市場でも直接出荷してくれる荷主がいれば日替わりで買い手を見付けるのではなく、買い手を固定化してその顧客内シェアを上げることによって、荷主の所得を安定化させる、この様な実利を取りにいく。情報もフィードバックできるその特定小売りはいつも買っている荷主さんにもっとこうしてほしいという要望がでる、良ければ感謝の気持ちを伝えられる。こういうコミュニケーションができていくからだ。これはお金に繋がる。

 繰り返すが、生産者は農協に出しておしまい、あるいは集出荷所に持って行って市場へ運んでもらえばおしまい、ではないのである。実はその先からのことがもっとも大切で、だれが自分の荷を買ってどこの地域でどの様に売られているのか、自分という生産者は、どのお花屋さんのどの売り方を応援しているのか。自分の出荷した花が店頭で売れないということは、自分のところにお金が入らないということだから、店頭で売れるまで一緒に心配する、ここが結局次のお金に繋がるものであり、消費者を喜ばせた分お金が入るということだから、それは証とやりがいが一緒に手元に来ることだ。

 ぜひとも荷が足りない時、足りないからばら撒くではなく、いかに絞るか、品種も品目もここがとても大切だ、絞り方はいかに消費者が求めているものに絞るか、という事である。荷主は市場を絞る。市場の特定買参人に絞る。買参人のどこの店のどんなお客様に買ってもらいたいか、そのターゲットを絞る。だから品種も品目も絞れるのだ。サプライチェーン上の顧客内シェアを上げ、運命共同体にならないと、安定してお金をいただけない。  


投稿者 磯村信夫 17:00