社長コラム 大田花き代表取締役社長 磯村信夫のコラム

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2023年03月13日

生産者の心意気、必要な時には必ず責任を果たします


 3月10日金曜から春の需要期に向けての本格出荷が始まった。今年は10年に一度の暖かい3月ということで、外でも日中は上着無しで過ごせるほどだから、温室の中では2月に寒かった分開花が抑えられていた花も一斉に咲きだした。昨年の秋に石油高、肥料高、電気料金高騰、種苗費も高くなって冬に暖房を焚いても採算に合うかどうかわからないと考えた生産者は、3月なら需要期で花を待っていてくれる人も多いと思い、作付けは3月に合わせてしっかりしていた。生産がここ10年、3~5%少なくなっているので、その中での諸物価高だから需要の見える時にリターンが計算できるのでしっかり作ってくれている。それ以外は少ない、という傾向がコロナ禍の2020年からはっきりしてきた。その証拠に去年の8月は作付けがあったが、猛暑で開花が鈍ったり、早い梅雨明けで品物が傷んだりして出荷できない花が多かったため8月のお盆は高値だった。でも9月の彼岸期は作付けが需要に見合っていたし、12月も同様だった。12月には確かに千両の不作があり高騰し、松は4年前種が取れなかったから生産が少なかった。しかし、その2つを除き需要を満たすだけの生産量は確保されていた。私はこれらの生産者の選択は正しいと思う。需要期にしっかり作って責任を果たす、それをしてくれているのだ。平常時にも潤沢に荷を出してもらおうとすれば、コーディネーター役の卸売市場が地元の生産者、または周年栽培の大生産地に自分が責任を負える範囲で生産依頼をすることをしないといけない。即ちサプライチェーン上の小売店、その先の消費者の実態と需要見込みをその生産地に伝えて共に近未来で努力する様に一緒の目標を共有しなければならないという事だ。そこまで天候やら諸物価高騰で国内生産も、海外の生産者とそれをとりもつ輸入業者も、物日などの需要期以外はリスクがいつも高く、採算が割れるかもしれないという不安がある。これを解消しながら進んでいく。過去は変えられないが、未来は変えられる。これでいく。

 そしてもう1つ。3月10日は東京大空襲があった日だ。昭和20年、1945年のこの日に、下町で10万人の人が亡くなった。いつもこの日にお参りをしている。加えて同年5月には山の手大空襲があったので、そのお参りもこの時に一緒にしている。靖国までは行けないため近所の神社である。そして翌日は3・11である。この時にはヒマワリがまだあまり出てないから、ネット上の東京オリンピックの花で家で鎮魂をする。その時思い浮かべるのは、オリパラの聖火スタート地である楢葉町のJヴィレッジまでセレモニーの花を届けてくださった原発の放射能の風の通り道になってその年出荷停止になってしまった福島の生産者の事や、葉が赤くならないように夏まで養生して生産してくれたナルコランの生産者の事、原発の被災地になって花作りが出来なくなったが通勤農業ならOKだという事で早速トルコギキョウを作り始めた人達の事、地震でひどく傷ついたところで花作りをしようとした宮城のヒマワリ生産者の人達、地震でベンチがなぎ倒されてすぐそこまで津波が来たというバラの生産者の事、津波で被災をした同僚の事や花作りの価値が見出せないでいたがしかし俺達にはこれしかないと更に良いリンドウを作り出した岩手の生産者達の事、最後に東京では、東京オリンピックだから東京の花を何か使ってもらおうと一緒に考えて作ってくれた大島のハランの生産者の人達の事。これらの方々を心に浮かべ、ビクトリーブーケ仲間と共にお亡くなりになった方々を鎮魂する。そして生かされている重みを感じる。

 東京オリンピックパラリンピックではビクトリーブーケセレモニーをやらないという事が決まっていたのに復興五輪なのだからそれは必ずやりましょうと働きかけて、やる様に復活させてくれた日本の花き業界の人達の熱意と応援してくれた自民党フラワー議連、東京オリンピックパラリンピック委員会、そしてJOCの人達、復興五輪でオリンピックのビクトリーブーケを被災地の復興のシンボルとして、世界の人々にお見せすることが出来た。日本は花の国、花緑そして文化を大切にする国だと表明することが出来た。日本人には花と緑との生活があるから、思いやりがある幸せな国なんだと、2027年の横浜花の国際博覧会に向けて世界の人々に日本の花との生活に関心をもって頂くべく、これからも企画、尽力したいと思う。これらのことを想って3・11の土曜日を過ごした。

 



投稿者 磯村信夫  15:19