社長コラム 大田花き代表取締役社長 磯村信夫のコラム

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2019年02月25日

文化と時代を反映していく花


 暖冬と曇りが多い産地もあり、花の開花がばらついている。その為3日から1週間早く荷が出回ってしまっている。ただ5年前と違うのは、スーパーマーケット等の売場数が専門店と同数になったことだ。そこでは安定した数量や品質でないと、販売計画の中に入れてもらえない。花の半分が青果物と同じ売り方になっていることを念頭に入れておかなければならないだろう。産地はまず出荷予測を出来るだけ正確にする。また、自分の産地だけでは出荷が不安定になりかねない。ライバル産地を同志として捉え、一緒に納品出来るよう取り組むことが必要だ。

 さて、春も近づいてきたが、街では様々な花のイベントが毎週末開催されている。先週の土曜日には、横浜の山下公園前にある横浜産貿ホールで開催された『神奈川県花き展覧会』を拝見した。

 関東地方では、明治以降の新しい花き園芸は二つの流れで勃興してきた。一つは、天皇陛下に続き立憲君主のイギリスに留学した子爵や男爵の方々が、その地で花き園芸を学び、日本に戻ると田園調布にある玉川温室村で花の温室栽培を始めた流れだ。もう一つは、横浜の居留区で主にイギリス人やフランス人、アメリカ人等が、庭を作ったり園芸栽培を趣味で行っていた。そこへ手伝いに行った庭師たちが、横浜南の富岡や、鶴見、新横浜近辺で花栽培を始めたことから始まった流れだ。テッポウユリの球根は生糸と同様に輸出の大品目であったから、㈱新井清太郎商店や横浜植木㈱の二社が、今でも球根類を得意とするのは当然のことである。そういった中で、㈱サカタのタネは「花のサカタ」としてパンジー、ペチュニアは勿論のこと、花き園芸そのものの生産を、県の試験所と同様に振興してきた。その末裔が今の神奈川の人たちだ。生産量は少なくなったが、大変レベルの高いものを作っている。また、神奈川県の中では、この流れとは別に、東名の川崎インターの側の馬絹地区での花き生産がある。江戸時代、蒲田に雪柳で有名な切り枝の促成栽培の産地があり、それが今の川崎の馬絹近辺に移り、現在の花き生産に繋がっている。
 
 『神奈川県花き展覧会』では、生産者の展示は大変素晴らしいものであったが、特に目を引いたのがビクトリーブーケのコンテストだった。いよいよオリンピック・パラリンピックも来年となった今、ビクトリーブーケは花に関係する我々だけでなく、一般消費者においても大の関心ごとになっている。
 
 日曜日には、日本橋室町で開催されている『FLOWERS BY NAKED 2019 -東京・日本橋-』へ足を運んだ。お昼前だったが当日券を買う人がずらっと並んでおり、入場制限までされていた。カップルと20代の女性が大変多いようだ。リアルとバーチャル映像の融合、そして気の利いたイベントやワークショップ。この組合せのなんと時代を反映していることか。私のライフワークは小林秀雄だから、「さまざまな面を『見る』」という教えを守り、写真を撮ることは殆どない。かつて絵を描こうとしていたときは、見て、そして、後の参考のために写真を撮ることはあった。しかし、写真がいつもファクトを映し出している訳ではない。ここに、私自身の時代とのズレを感じている点であるが、しかし、この人気は凄まじいものがある。もう一度、“今”という時代を、そして今の時代の美しさは何か、状況空間まで含めた本物とは何か。この回答を、自分自身の中で見つけなければならないと思った次第である。
 
 今回、もう一つ話題に挙げたいニュースが、ドナルド・キーン氏の訃報だ。陶芸家のバーナード・リーチ氏が私に焼き物の面白さを教えてくれたように、私が日本の江戸時代の文学や歌舞伎を見るきっかけを作ってくれた人である。近松門左衛門から入った江戸時代の文学、そして、歌舞伎や文楽※等、ドナルド・キーン氏の作品を読み返すたびに日本の情緒について学んだものだ。日本の文化を日本人として学ぶきっかけを作ってくれたドナルド・キーン氏の功績は大きい。東日本大震災発生直後に日本へ帰化することを表明された、日本と日本文学をこよなく愛する人だった。
 
 今、本所吾妻橋の側にある「たばこと塩の博物館」にて、展示イベント『江戸歌舞伎と園芸 -舞台を彩る植物-』が開催されている。江戸時代で花を楽しむ人々、舞台を彩った芝居の中の植物が浮世絵で描かれている。音羽屋の三代目菊五郎の植木屋の版画を、ドナルド・キーン氏の面影を胸に、興味深く拝見した。

  ※文楽:江戸時代にはじまった日本の伝統的な人形芝居。


投稿者 磯村信夫 17:22