社長コラム 大田花き代表取締役社長 磯村信夫のコラム

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2018年11月19日

文化が根を張っていないと薄っぺらいものになってしまう


 勤労感謝の日が近くなると、私が花や市場に興味を持った原点を思い出す。それは小学校三年生の時だ。学校から帰ってくると、大森園芸の第二駐車場に三メートル以上の大きさのクリスマスツリーが一本落ちていた。その日はツリー市だったから、お花屋さんが車の屋根に乗っけていたものを落としたに違いない。それを社員に「落ちていたよ」と届けた。すると二週間位してから、「お花屋さんの持ち主が現れなかったので、改めて売っておきましたよ。3,500円で売れたので、販売手数料を引いて3,150円にもなったのよ」と教えて貰い、とても嬉しかった記憶がある。私は市場の中に自宅があったから、市場のことは大体分っているように思っていたが、市場が「お金を生む」、あるいは、「評価する」システムであるということを、この時初めて感じたのだ。

 当時、羽田からクリスマスツリーを輸出している羽田のすぐ側の吉岡さんや、大森のジャーマン通りにあったドイツ学園に花を納めている四番の四郎さん等のお花屋さん達がいた。そして、本牧から横須賀にかけて住んでいる米軍の人たちや、米軍の人しか利用できない山王ホテルへの納め等、大森園芸では大量の“切り”や“根巻き”のツリーが取引されていた。もちろん、その頃飲み屋さんでもクリスマスパーティーを開いていたし、世のお父さんたちに「家庭でクリスマスをやりましょう」等というメッセージが新聞やマスコミで宣伝されていたと聴く。

 日本では、いつの間にか会社が広告宣伝費の形でクリスマスツリーを飾ることも多くなったが、家庭ではフェイクのツリーやリース、オーナメント等が使われ、毎年飾り終わったら廃棄してしまうキリスト教国のような習慣は無い。楽しみのためにやるのであって、宗教的な行事に結びついていないということだろう。一方、正月は宗教的な行事に結びついているから、「まさか古いものを神様にお供えする訳にはいかない」。とくに神道だから「その年のものでなければならない」と考えている人たちがまだ多い。その分、お正月は文化の継承が行き届いている。余談だが、もう既に中国産の輪飾りやお正月飾りを店に出している量販店がある。宗教や文化を大切にする私からすると、なんとこれ困ったことだと思う。

 さて、クリスマスの話に戻すと、11月初旬、用事があってシンガポールに行ってきた。日曜日だったのでビジネスの話が出来ず、ガーデンズバイザベイに行ってみると、大きめのオレゴンツリーを50本ではきかないくらい飾っていた。それはそれで立派なのだが、この辺りがアジア諸国の花文化で困ったところなのである。それは、シンガポールは一年中同じような温度なので、春夏秋冬でその季節を味わうという思考が薄いことだ。アメリカではハロウィーンの後に感謝祭があり、実家に帰ってお父さんお母さんたちと過ごすことが多い。そして日本は七五三、勤労感謝の日で、働いている人に対して、また、働かせてもらっていることに対して、そして、人も含めた大いなる自然に感謝する日である。それらが終わってからクリスマスを迎える。このようにメリハリをつけた物日がある。

 モバイルを使って世界中とインターネットで繋がり、右脳でサッと判断することが多くなってきた昨今において、逆説的に、静寂の時間が我々にとって必要だ。それは宗教であったり、真善美に振れることであったりする。日本文化がもう一度見直されているのは、日本の「和」の必要性を、それぞれが感じているからではないだろうか。シンガポールのガーデンバイザベイも、色々な場所から本物の植物を取り揃えて飾っている。しかし、教育の意味はあるが、ここでの文化性が感じられない。新しい国なので、シンガポールの文化とは何かを打ち出せないと、芸術文化や、花屋さんや花市場というようなものが発展するということが中々難しい。中継貿易をするにつけても、オランダのように一つの文化があった上で、その文化を生きる人たちの目を通して中継していくことが必要だ。学問や経歴だけで文化にかかるものが出来る訳ではない。これは花や食材も同様である。

 子どもたちが巣立ち、夫婦二人だけになった家族が多い今日の日本。日本のクリスマスというのはどういうものなのか。本年のクリスマスを機にこれをしっかり考え、ツリーやギフトの為の花等を一般消費者に届けたい。そして、日本のクリスマスを味わってもらいたい。
 
投稿者 磯村信夫 17:00