社長コラム 大田花き代表取締役社長 磯村信夫のコラム

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2017年09月04日

分散化の世の中だから、生鮮食料品花き流通は大半が集中化でないと安定供給できない


 ものが流れていく時、チームを組んで川上から川下へ流れることが産業界では多かった。ひとつの仕事が産業化する、すなわち、それは分業化の意味だから、消費者に届けるまで当然機能をアウトソーシングすることになる。そこで縦の系列化が進むか、取引きではなく取組みというように特定関係でシームレスなサプライチェーンを作ることになる。

 しかし、携帯電話だけでなく自動車まで含め、ものがモジュール化されてきて、それをどう組み合わせて、生活者にメリットを多く供給するか、そういう供給になってきた。それが並列化で、あたかもブロードウェイのミュージカルと同様、一回一回オーディションを行い、役者が決まり、そのパフォーマンスが評価されるようになる。言いたいのは、集中の時代から分散の時代。集中もひとときの集中でしかない。

 生鮮食料品花きは、産地も市場もそれを販売する小売業も大手に集中していた。それが今、分散化の動きに入ってきている。 生鮮食料品花きだけでなく、一定のターゲット生活者、この場合は消費者と呼ぼう。消費者に合わせて、分散化したものをブロードウェイのミュージカルのように人選し、1つに繋ぎ合わせて、消費者にものやことでサービスをする。こういった動きになってきた。

 政治の社会で、なんとかファーストというのを前面に押し出し、支持を受けているということは、世界中、日本中で分散化の動きが起こっている。しかし、個別最適というのは、全体最適にはなかなかならない。そうなるには時が必要だ。誰か優秀なフィクサーがいないと混乱に陥ることが目に見えている。混乱は社会的損失だ。

 今、生鮮食料品花きのサプライチェーンにおいて、農家は自分で販売するとか、全農は買取り販売するとか、信頼している人とチームを組みすなわちアウトソーシングをして行くということとは違う方向に行こうとしているように見える。集中ではなく、分散化に行こうとしている。SNSの発信機能もあって、量的には少量しか扱わないレストランが産地に直接買いに行ったり、卸売市場とは別のマーケットプレイス、たとえば有機や無農薬の農産物プラットホームの業者が集荷販売する、といったことが数多くなったり、どこか分散化に、より拍車が 架かっているかのように人の目には映る。

 しかし、生鮮品の時の相場は少なくとも東日本であれば、魚は築地で決められ、青果は大田市場で決められ、花と緑も大田市場で決められている。流通はたくさんあって良いが、生鮮食料品花きは腐りやすいものだから、混乱は意味がない。社会的損失だ。日常生活に不可欠な生鮮食料品花きの流通は、合理的でもっとも生産性の高い流通である卸売市場流通が大半を占めないと、他の流通業者も混乱してしまう。ここをおさえて生鮮食料品花きの出荷者と買い手である販売店は分散化すなわち個の自立の時代であるというなら、その時その時で並列化した組み合わせである流通をすれば良いと思う次第である。


 

投稿者 磯村信夫 : 16:00