社長コラム 大田花き代表取締役社長 磯村信夫のコラム

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2022年05月16日

個人出荷のガーベラで気を付けてもらいたいこと


 沖縄が本土復帰50周年となる昨日、日本農業新聞一面に、沖縄の小菊の大産地の記事が掲載された。沖縄には今後とも、仏花としての小菊だけでなく、小菊自体が消費者の感覚では、スプレーマム化してきているので、可愛らしいマイクロマムみたいなものや、昔あった小菊の種類等、多彩な小菊を生産してもらいたい。また、鉢物やトルコギキョウ、冬の温かさを利用した草花類等も手掛けて、更なる花の大産地になってもらいたい。個人的な話になるが、まだ私が業界に入って間もない頃、沖縄の太陽の花(沖縄県花卉園芸農業協同組合)の組合長から、父・民夫に次のような依頼の連絡があった。「春の彼岸に、飛行機をチャーターして東京に出荷したい。逆算して、どうにか市場のセリに間に合うような時間で羽田の着陸枠を取って欲しい」。父は早速、同じ大田区のため懇意にしていた当時の運輸大臣、故石原慎太郎氏に依頼し、はじめて沖縄の花のチャーター便が飛んだ。そこから毎年運行されるようになった。飛行機をチャーターして小菊を運んでくるなんて、当時は本当に“ぶったまげた”ことだったし、花き業界もここまで来たのかと、側で経緯を見ていた私は嬉しくなったことを覚えている。太陽の花とJA沖縄、二団体が切磋琢磨し、また、協力し合い、沖縄は「花の島」として、日本には無くてはならない主産県となっている。

 先日、自由が丘のすぐ側の九品仏にて、大田市場花き部全体の花供養祭が開催された。旧芝生花から引き継がれたこの花供養は、大田市場の買参人組合の川原理事長が会長になり、花き部全体で行うようになっている。式典に出席し、改めて花へ感謝するとともに、心が洗われて、新たな仕事の意欲が湧いてきたように思う。そして、式典でのお経は大変美しいハーモニーであった。能を社会人になる前まで習っていた私にとっては、まさに“謡(うたい:能楽の詞章)”に匹敵する美しさだった(余談だが、私が食道がんで入院した時、部屋で音楽を聴きたいので妻にグレゴリオ聖歌と仏教の声明(しょうみょう)のCDを持ってきてもらった。そんなに大きな音では無かったのだが、看護師さんはグレゴリオ聖歌には文句を言わなかったが、声明は「やめてください」と言われてしまった。二回聞いただけで見つかってしまったので、その後は聴くことが出来なかった)。花供養での新緑に染み入るようなお教、また、大変素晴らしい飾りつけの供花(くげ)。これらの透明感と「美」が本当に素晴らしく、心は充分に満たされた気がする、大変有難い1日であった。

 さて、本題に入るが、花供養に参列したお花屋さんとガーベラの話になった。そのお花屋さんは他県に店を構えており、他県市場でも仕入れを行っていた。ガーベラは花屋さんにとって重宝する花になっており、別の花と合わせて使うにも定番のものだ。今後も色々な種類、沢山の量を欲しいとそのお花屋さんは言うものの、こんなことも言っていた。「農協の共撰出荷のものは横の繋がりがあるし、生産者間で『質的に迷惑をかけられない』と、しっかり作りこんでいる気がします。個人出荷の方は良い品質のものがもちろん多いですが、中には、とにかく出荷本数を増やそうと、細胞が柔らかいというのでしょうか。しまりが無いガーベラを出荷する人もいます。母の日に他県市場で購入したものの中にそういうガーベラがあり、残念に思いました」。

 農協等の共撰販売では、産地をブランド化させようと生産者の皆さんは協力し、またお互いにチェックし合うから品物に安心感がある。一方、個人出荷の場合には、図抜けた品質等が無いと、市場で共撰より価値が通りにくい筈だ。生産者の方、特に個人出荷の方にお願いしたいが、消費者や社会はゆるやかだが、常に変化し続けているので、同じことしかやらないと、昨年と同じはずが、実は落ちているということが分かりにくい。上に向かって努力して、ようやく前年並みの信頼度を得ることが出来る。地元に共撰共販の組合が無い場合もあると思うが、共撰共販がないなら、個人間でも良いからグループや組合を作って、地域で切磋琢磨することも必要だ。国産しかないガーベラの生産者は大切だ。共撰の方たちの場合は、お互いに切磋琢磨しながら進んでいけるが、個人の場合には個人の裁量となってしまうので、自戒しながら前進し、個人出荷の銘柄として確立させてもらいたいと思う。



投稿者 磯村信夫 18:07