社長コラム 大田花き代表取締役社長 磯村信夫のコラム

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2020年01月20日

「 美しい」と感じるベースには、今風に言えば「いけばな力」がある。


 花き関連の新年会で、いけばなの先生方から「花材をお願いしているお花屋さんが店を閉めると言うので困っている。磯村さん、どうにかならないだろうか?」と言われることがある。昨年から少しずつそのような話をいただいていたが、本年は結構、多くありそうだ。

 都営大江戸線に「麻布十番」という駅がある。商店街もなかなかのものだ。そこの数少なくなった生花店の一軒は、ご主人が仏花と榊をしっかり作ることができる。ご子息は、時代を捉えた花を市場で仕入れてくる。だから、アレンジの技術も素晴らしい生花店だ。麻布や三田、高輪にはお寺が多いが、そこでは天地人を表現する仏花や、神棚に合わせた榊が必要だ。これを準備できない生花店も多いので、“本物”の仏花や榊を販売している前述した店には、物日にはお客さんが列をなす。なにもこれは麻布十番のところだけではない。様々なところで、 例えば横須賀のとある生花店は、駅から少し離れた所にポツンと一軒あって、率直に申し上げれば古い、「もっと綺麗にしたら良いのに」と思う外観だが、物日には列をなすのだ。それは、品物が本物だからだ。素敵な花屋さんももちろん良いが、花を手向ける場所によって、伝統に則った「本物」があり、それをきちんと販売している店が必要で、そのような店が繁盛している。
 
 世の中は洋風というよりもカジュアル化しているが、どうも、その「カジュアル」を「雑で良い」だとか、「基本を抑えなくても良い」というように解釈し、花を取り扱っているお店が多くなっていやしないだろうか。あらゆる人の所作には基本があり、もちろん、花束や、花のいけ方にも基本がある。そこを自由に解釈しながら基本を押さえて表現することをカジュアルというのであって、手を抜いたり、なんでもありだったり、雑だったりすることとは全く意味が異なる。
 
 いけばなの先生方は、花屋さんと共に歩んできた。今、自分が使いたい花材が流通しにくくなっていることもあり、「これだったらいけばなにも使える」と、新たにいけばなの素材になる花を、自分自身の目で見て調達する。生産者にも「こういう花が欲しい」と教えて作ってもらう。このような仕事まで、花屋さんに代わってしなければならなくなってきた
 
 いけばなの先生に「生花店を紹介してください」とご依頼いただき、いけばなについてよく知る生花店を紹介しようとするが、中々難しい。時には仲卸さんを通じてその先生の住む地域の生花店を紹介したり、一部のものについては、大田の仲卸さんから直接、先生に荷がいくようなルートを作らざるを得ない状態が実際だ。もう一度、日本のはないけの根本であるいけばなを、花き業界の人全てが学んでいくべきだと思う。いけばなの先生方に花や枝物を供給する生産者や生花店が、仲卸まで含めて少なくなってきている。これを、ここでストップさせたい
 
投稿者 磯村信夫 12:19