社長コラム 大田花き代表取締役社長 磯村信夫のコラム

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2018年11月26日

 文化に根差した地元市場の必要性


 25日(日)は三の酉。品川から人形町へ向かい、東京メトロ日比谷線に乗り換えると、熊手を持った家族連れの人たちが多く見受けられた。目的地の北千住では、駅に隣接する「THEATRE1010(シアター1010)」で(一社)帝国華道院主催の第92回全日本いけばなコンクール「いけばな大賞2018」が開催された(27日(火)まで)。感銘を受けたのは小学生の部を観賞している時だ。何と若々しく、整っており、しかも透明感があるのだろうか。生花を生けてあるから、静かだが躍動感がある。これが小学生の作品なのかと、思わず出展者の名前と学年を再確認することが度々あった。そして、中学生・高校生の部共に素晴らしくなっている。しかし高校の部で、生けた本人と先生との間で何らかの葛藤があるようにも思えた。先生はもっと本人に任せて生けさせた方が、基礎は出来ているのだから個性が出てくる。そう思われる作品があった。とにかく、小さい頃からいけばなを習わせることは、そのお子さんが大変素晴らしい人生を送ってくれることに繋がると確信出来た。いけばなの先生方におかれましては、是非子どもたちを勧誘願います。

 コンテストの「自由花の部」では、更に発想が自由になり、いけばなの様式の中にありながら、雑誌・芸術新潮に是非とも載せてもらいたいと思う作品が多数あった。また、東京オリンピック・パラリンピックまであと一年半。「ヴィクトリーいけばなの部」では、こんなヴィクトリーブーケを貰ったら選手も喜ぶし、「日本文化を表現したオリンピックだ」と、見た人に思ってもらえるような作品が多く、どれも力作であった。

 いけばな大賞を鑑賞した後は三浦半島へ向かった。神奈川には多彩な文化が揃う。文化に根ざした食や衣服、花飾りがあり、神奈川の街には個人で経営しているお花屋さんが沢山ある。三浦半島もそんな神奈川の一つだ。嘗て「湘南」と言えば、鵠沼や鎌倉、茅ヶ崎をイメージすることが多かった。しかし現在、マリンスポーツと漁師、そして農業まで含めた湘南らしい独特の文化は、アメリカ人まで含めた“逗子”が有名で、花屋さんの多さも目につく。小さな花屋さんがいまだに新しく駅前に出来るくらいで、神奈川県の一つの顔ともなっている。逗子にあった花市場は無くなってしまったが、漁師の人達等、古くから住んでいる人たちに向けて榊や仏花、そして和風な花を扱う花屋さんがいる一方、東京から移り住んできた人たちへ、都心で買えるような花だが、もう少しバラを中心として野の草、そして暑いときにはドライフラワー等を率先して使った、先端のものを売っている花屋さんがある。

 昨日はそんな三浦半島の横須賀に行った。以前は上町に老舗の花屋さんが多く、お稽古花を中心に葬儀関係の花、一部アメリカ人向けの花を扱っていた。しかし、お稽古花が衰退し、葬儀関係もセレモニーホール向けが多くなった現在、いつの間にか上町ではなく、横須賀中央駅の方に人々が集まるように、商店街も作られてきた。今では、横須賀中央のお花屋さんたちが盛んに商いをしている。そして、横須賀にも市場はあったが、今は横浜南部市場と南関東花き園芸卸売市場、補完的に大田市場と世田谷市場からの花を使っている。街を見ても、花を生けるところを見ても、明らかに東京とは違う。三浦半島だけを見ても、畜産や青果、また、小さな入り江ごとに存在する漁師町。横須賀と逗子にある米軍の居留地。こういったものに独特のものがある。米軍の影響を強く受けたアメリカ人好みのしつらい、海軍もあるので、命を懸けた凛としたもの、そして少しオーバーだが、いつ死ぬとも分らないから享楽的なもの。ワッペンが沢山ついたスタジャン、一年中、普段着はTシャツだ。また、田舎らしい、どちらかというとうらぶれた場所もある。そういうようなものが交じり合ったものが横須賀にはあるのだ。東京に近いがこの独特の文化。どうやってこの地域に寄り添った花を、地域住民に供給出来るだろうか。アレンジや花束等の味付け、そして、そこでの素材や色目等、やはり地の人でないと分らないことも多いだろう。文化が違う限り地元の市場が必要なのだ。これを再確認して、横須賀から帰ってきた次第である。
 
投稿者 磯村信夫 16:09