さて今日は、筆者の日常について少し触れてみたいと思います。若い頃は営業として車で産地を駆け回り、生産者の皆さまと世間話をしたり、議論を交わしたりしながら集荷に奔走しておりました。一日で何軒も回ることも珍しくなく、今思えば随分慌ただしい、けれど充実した日々だったように思います。非常に意義深い重要な時間を、生産者の皆さまと共有してまいりました。
一方、現在の職務では、電車で移動する機会が増えました。仕事の内容も変化し、移動の仕方や時間の使い方も随分変わったと感じています。
筆者は心配性ですので、待たせるより待つ方が性に合っており、打合せには余裕を持って向かいます。その結果、予定より早く到着することもしばしば。そんな時によく利用するのが珈琲店です。雑多な作業を多く抱えております事から、パソコン広げ、給電しながら静かな環境で物思いにふける時間を欲しております。好きな珈琲を飲みながら過ごす時間はなかなか快適で、店舗によってはモーニングサービスがあったり、2杯目半額であったりと、つい長居をしたくなる工夫も施されております。
そこでふと思うのです。このお店は本当に珈琲を売っているのだろうか、と。
珈琲を注文すると無料でトーストが付いてきたり、お水が減れば気遣いの声を掛けてくれたりする。ふと店内を見渡すと、若いご夫婦がそれぞれ雑誌を読みながら、たわいもない話にゆったりと花を咲かせている。一方で、ビジネスマンがノートパソコンを広げて仕事に打ち込んでいる姿がある。それぞれが思い思いの充実した時間を値頃感ある珈琲一杯で過ごしているのです。
さしずめ珈琲を注文するという行為は、静かな空間であったり、居心地の良い椅子であったり、自宅でも職場でもない絶妙な居場所であったり。そうした価値に対してお金を支払い、権利を手に入れ、居心地のいい滞在チケットを獲得しているようにも感じます。
そこで率直に感じるのは、「果たして見合うのだろうか?」であります。 しかしどうやら見合うのだそうです。長時間滞在する顧客は実は僅かで、お友達との待ち合わせによる来店や、長時間化しても追加でオーダーされる方が大半。結構スパゲッティーも美味しいのですよね。 商いの中心であろう珈琲の販売が、ついど真ん中であると筆者は考えておりましたが、ど真ん中の珈琲を敢えて名脇役に位置付ける事によって、単なる飲料販売がユーザーの華やいだ生活に彩りを与えるのだと、立ち止まり考えてみると理解が進みました。
そして、これは花も全く同じではないでしょうか。
花という植物や商品、物質を売るだけではなく、花を名脇役に位置付け、生活者のその先にある喜びや感動、癒やし、ハレの日を彩る特別な時間、そして悲しみにそっと寄り添う気持ちまで整える役割が花なのだろうと思います。
少し大げさですが、花を売るのではなく、花を通じて人の人生を豊かなものにする。実現する力を花は持っていると思います。 その役割を忘れず、これからも知恵を絞って普及に努めてまいりたいと思います。
Canon EOS 6D MarkⅡ/24-70mm F2.8 DG OS HSM|Art017/ISO12800/36mm/0.3ev/f22/1/100s
萩原 正臣 9:00
