高校の通学路をマップで見ていたら、救急診療をしていなかったはずの大学病院に
「救命救急の碑」ができていることに気づきました。
これを見て、私が高校1年生だった6月にあった事故を思い出しました。
通学路にある大学病院出口の交差点で、新体操部の一つ上の先輩が自転車で下校中に転倒し、
バスにひかれて亡くなってしまったのです。
新体操部も、私が所属していた演劇部も同じ体育館を使っていたため、
同学年同士で交流がありました。演劇部の先輩や、新体操部に所属していた私の友人たちは
とても悲しんでいて、その様子を見て私まで胸が痛くなりました。
先輩たちは涙を流しながら、
「どうして大学病院の前で起きた事故なのに、その大学病院へ搬送してもらえなかったのだろう」
と話していました。それを聞いた私も、「なぜ別の病院だったのだろう」と驚きました。
後になって先生から、その大学病院は当時救急診療を行っていなかったため、
別の病院へ搬送されたのだと聞かされました。
事故のあと、その交差点にはたくさんの花が供えられるようになりました。
ご家族や先輩、友人たちが手向けたのでしょう。
とても慕われていた方だったのだと思います。
先輩たちが卒業した後も花は途切れることなく、交差点が目立つほど多くの花で彩られていました。
「救命救急の碑」を見つけたとき、私は
「この大学病院は今では救急診療を行うようになったのだろうか」と思い、後で調べてみました。
すると、事故の後に病院長となった先生が、交差点に供えられるたくさんの花を見て
碑を建てる決意をしたことを知りました。
それまでその病院は研究志向が強く、救急診療を行っていなかったそうです。
その後、新しい病院長は救急医療の充実に力を注ぎ、
事故から7年後には高度救命救急センターが開設されました。
マップで碑を見つけた時は、誰かが大学病院に働きかけて救急診療が始まったのかなと思いました。しかし実際には、皆が供え続けた花がきっかけだったと知りました。
改めて、花には人の気持ちを伝える力があるのだと感じました。
また、先輩や友人たち、亡くなられた先輩、そしてご家族の思いが
少しでも報われていたらいいなとも思いました。
なお、高度救命救急センターは東日本大震災の際にも多くの命を救ったそうです。
余談ですが、大学病院の話で思い出したことがあります。
昔、伯母が 「私は若い頃、東大に通っていたんだよ」 と言っていたので、
てっきり東大卒なのだと思っていました。
ところが後になって母から、
「東大卒なんかじゃないよ。東大病院の患者だっただけだよ!」 と暴露されました。
それを聞いたときは思わず笑ってしまいました。
ロジスティック本部
小原

