こころ揺れる

その他
 先日、いつも通っているスーパー銭湯で、胸が締めつけられるような出来事がありました。体重計に乗って現実を突きつけられ、確り汗でも流してととのおう(サウナ用語)と掛湯へ向かった矢先のことです。足元に何かが当たり視線を下げてみると、若い男性がその場に崩れ落ちるように倒れていました。顔色は青白く、様子から体調を大きく崩しているのは明らかでした。

突然の光景に驚きつつも、額から流血も有り、無理に動かすのは危険だと直感しました。周囲の方と協力し、スタッフへ連絡を取るべきだと判断。幸いにも近くにいた従業員の方がすぐに状況を察知し、落ち着いた声で対応を進めてくださいました。迅速な処置が取られ、大事に至らぬ雰囲気が確認できたことから、気持ちを切り替え、ととのいに向かいました。

しかし、その光景は私の中に深く残り、数日間、頭から離れませんでした。というのも、数ヶ月前にもよく似た場面に出くわし、その時にも「もっと早く気づいていれば」「自分に何かできたのではないか」と自問が続いた記憶があるからです。今回もまた、同じ思いが胸の奥から湧き上がってきました。

・なぜ彼の異変にもっと早く気づけなかったのか
・なぜもっと広い視野で行動できなかったのか
・一人で来ていたのだろうか、何か悩みを抱えていたのか
・ただ体調を崩しただけであってほしい
・もし重い症状だったら、私は何をしていたのだ!

そんな考えが途切れることなく浮かんでは消え、心に残るものがありました。面識はなくとも、人が体調を崩す瞬間を見るのは胸が痛むものです。私自身、スーパー銭湯にはととのうために通っており、青年ももしかすると、同じように心身を落ち着けに来ていたのかもしれない。そう考えると、一層その姿が切なく映りました。

ただ、この出来事を通して強く感じたことがあります。私は日常的に“人の幸せを願うこと”を自分の軸として生きているのだということです。仕事でも私生活でも、関わる人がほんの少しでも良い方向へ向かうなら力になりたい。そうした思いが、自分の中に確かに根づいているのだと気づかされました。

もちろん、善意の受け止め方は人それぞれです。中には、他人のことに深く踏み込まない方が良いという考えもあるでしょう。多様性の時代であり、どれも正解だと思います。しかし私は、自分の心に浮かんだ感情には素直でありたい。できることは小さくとも、関わる人々に寄り添い、少しでも役に立ちながら歩んでいきたいと強く思っております。人は一人では生きていけません。関わる方と強調し合いながら苦楽を共にしながら生きてまいりたいものです。

 心が揺れる出来事のあと、人は自然と「自分の軸」を探すのだろうと思います。私の場合、それがカメラでした。自然を撮るという行為が、思いのほか仕事観につながっていることに気づきます。

最近は自然風景の撮影に熱を入れており、YouTubeで技術を学ぶのも楽しみになっています。先日、「絶対に勝てる風景写真の撮り方」という動画を見かけ、視聴して行くと、その内容が仕事の価値観と重なるように感じましたので共有させていただきます。

「絶対に勝てる風景写真の撮り方」とは?

① 撮りたいものを決めない
状況に縛られると視野が狭くなる。柔軟な発想は仕事にも重要。

② 場所を決めない 
場所を決めて掛かるとそれ以外の地域に最良なスポットがあったりする▶①と似た決め打ちの弊害で損をする。押さば引け。北風と太陽。着いたはいいが観光客だらけ、とか。

③ 天気を決めない
晴には晴れの、雨には雨の良さあり、万能に対処すべき▶答えは一つではない。逆転の発想を持ち、引出しの多さを目指すべき!

④ 機材に妥協しない
環境を整えることで言い訳を排除できる。高価な手振れ補正付レンズなど。これは企業のDXや設備投資にも通じる。

⑤ 現像・レタッチの技術を磨く
綺麗な写真を作り出す編集技術を学ぶ▶ハードに対してソフト面の強化。相手の購買意欲をくすぐるようなテクニックを身に付けよう。相手の懐に入る事が最も近道ではないだろうか。

そして最後に、

⑥ 負けたと思わないこと
そもそも写真における「勝ち負け」とは何を指すのだろうか。 写真とは、最終的に自分が納得できるかどうかが全てである。他者からの承認欲求も理解できるが、尊敬するYouTuberが言っていたように、「いい写真が撮れるまで、納得するまで自然と向き合うこと」こそが風景写真の神髄なのだと思う。自然が好きだからこそ、目の前で見た景色、心が動いた瞬間を自分らしく切り取ることに、写真の醍醐味がある。

一方で、仕事には役割や立場、職位や職種に応じてそれぞれ異なる目標がある。視座が違えば、目指すべき成果も異なる。人は、負けを認めない限り負けではない。小さな目標であっても大きな挑戦であっても、目的を持って取り組み、成果を出すことに妥協すべきではない。誰かの役に立ち、感謝されることに全力を注ぐべきだ。妥協したり諦めたりした瞬間にゲームオーバーとなる。

だからこそ、「何のために行っているのか」という原点を忘れず、大きな目標でも小さな目標でも、自ら掲げた到達点にしっかり辿り着いてほしい。写真は苦労しても苦にならないのに、仕事は大変で諦めたくなる——。しかし、その状態では良い成果を生むことは難しい。

もちろん、ライスワーク → ライクワーク → ライフワークという段階があり、価値観も人それぞれであるため、一概に断定はできない。それでも、「人を幸せにできる仕事」に従事できたなら、何て素晴らしい事だろう。

 以上、自然を相手にする撮影が、思いのほか人生や仕事の哲学とつながり、興味深い発見となりました。皆様も日々のなかで、どんな気づきややりがいを感じておられるでしょうか。今度ぜひお聞かせください。

Canon EOS 6D MarkⅡ/24-70mm F2.8 DG OS HSM|Art017/ISO800/35mm/-0.7ev/f13/1/125s



萩原 正臣 9:00