能の演目『梅』 鑑賞

花き業界
 銀座シックスの地下3F観世能楽堂へ、能の演目『梅』を観に行った。出演する岡久広氏は、中学生のころから同窓の親友だが、私の能の先生でもある。中学から高校、大学と10年に渡り教えていただいたのだが、むしろ岡のお姉さんやその友人たちを私の車に乗せてお寺周りをしたことの方が、よっぽど思い出に残っている。そうはいっても、声変わりした時から「謡」※①で発声を習ってきたので、私の声は他の人とちょっと違っているようだ。先日も新橋のニコラス(老舗のピザ屋)で妻と食事をしていた時、昔働いていた人がお客さんとして来ていたのだが、その方から突然「誰かと思ったら、昔からお店を贔屓にしていただいている方ですね。声で分かりましたよ」と声をかけられた。これも多分、「謡」で岡先生からご指導いただいたために、ちょっと違った特徴のある声になっているのかもしれないと思うのである。

 演目『梅』では、岡久広氏が「シテ」※②を演じた。74歳だというのに、あの動きの少ない、さりとてじっとしているからといって硬直しているのではなく、リラックスしているのでもない。ちょうど器械体操で動きを止めた時の、あの微動だにしない美しさのように、実は素晴らしい集中力をずっと持続していて、頑強な身体運動を行っている。そして動きの少ない「仕舞」は、一つ一つがあたかも美しい絵のようで、まさに芸術そのものだ。岡久広氏はその場に溶け込み、この世のものでない「梅」の精としての実存を表していた。

 演目終了後、会場から出てくる人をお迎えするために立っていた岡氏の奥様に、「70になってから難しい演目ばかりやりますね。よく身体も精神もあれだけ集中が切れることなく、しかも自然に、無理を感じさせることなく演じられますね」。と同い年の友人ならではの意見を述べた。すると、「そんなこと言っても、磯村さんも現役で頑張ってらっしゃるじゃないですか」と仰った。奥様に一本取られた感じがした。

 岡氏のようにあそこまで集中を持続して、精神まで含め自身を使うことが出来ているだろうか。甚だ恥ずかしながら、その域には到達していない。演目を観ることで真善美に触れ、年を重ねるごとに自分を極める親友の姿を見て、自分自身を省みることが出来たと嬉しくなって帰路に就いた。お客様を前にした舞台を持っていない我々にとっては、毎日の仕事場が舞台だ。稽古場ではない。そのことを念頭に日常生活を送っていくべきだ。普段より遠回りして、色々なことを考えながら自宅へ帰った。

※①「謡」…能の声楽部分。
※②「シテ」…能における主人公のこと。



 投稿者 磯村信夫  14:38