能の演目『梅』 鑑賞
花き業界
演目『梅』では、岡久広氏が「シテ」※②を演じた。74歳だというのに、あの動きの少ない、さりとてじっとしているからといって硬直しているのではなく、リラックスしているのでもない。ちょうど器械体操で動きを止めた時の、あの微動だにしない美しさのように、実は素晴らしい集中力をずっと持続していて、頑強な身体運動を行っている。そして動きの少ない「仕舞」は、一つ一つがあたかも美しい絵のようで、まさに芸術そのものだ。岡久広氏はその場に溶け込み、この世のものでない「梅」の精としての実存を表していた。
演目終了後、会場から出てくる人をお迎えするために立っていた岡氏の奥様に、「70になってから難しい演目ばかりやりますね。よく身体も精神もあれだけ集中が切れることなく、しかも自然に、無理を感じさせることなく演じられますね」。と同い年の友人ならではの意見を述べた。すると、「そんなこと言っても、磯村さんも現役で頑張ってらっしゃるじゃないですか」と仰った。奥様に一本取られた感じがした。
岡氏のようにあそこまで集中を持続して、精神まで含め自身を使うことが出来ているだろうか。甚だ恥ずかしながら、その域には到達していない。演目を観ることで真善美に触れ、年を重ねるごとに自分を極める親友の姿を見て、自分自身を省みることが出来たと嬉しくなって帰路に就いた。お客様を前にした舞台を持っていない我々にとっては、毎日の仕事場が舞台だ。稽古場ではない。そのことを念頭に日常生活を送っていくべきだ。普段より遠回りして、色々なことを考えながら自宅へ帰った。
※①「謡」…能の声楽部分。
※②「シテ」…能における主人公のこと。
投稿者 磯村信夫 14:38