まず自主性、そして啐啄同時

その他
 大学入学共通テスト1日目が始まった。毎年、雪やインフルエンザが何かと受験生の心を不安にさせる時期だが、未来に向けて頑張って欲しい。ここ30年で、大学は勉強するところとなった。グローバリゼーションで世界の知的レベルが上がり、大企業の経営者ともなると、MBAを出ることが必要となるほどかと思う。そのような中で、日本は小学校・中学校と世界でもレベルが高い。しかしその後、大人になりかけた高校生の青春の時期から、世界と比べて学力が落ちるのだが、これは子どもたちの学力が下がったのではない。北ヨーロッパ、例えばオランダでは、12歳までに生徒の学力や適性を評価し、その後の進路が3つに決められる。中学までの教育コース、高校までの教育コース、大学進学コースだ。ドイツの一部、デンマークでは15歳の時にそのようなシステムがある。一部スウェーデンやノルウェーでもそんな風だ。従って、国によって高校生の学力は違うのだ。

 受験を頑張って乗り越えて入学した大学には、優秀な先生がいらっしゃる。精一杯勉強してもらいたい。精一杯勉強すると言っても、アルバイトや就職活動で時間が潰されてしまうことが問題だと感じている。今、大田花きでも2025年度卒業の生徒に向けての採用活動を行っている。3年生の冬だが、人によってはこれから1年をかけて採用活動を続ける。その結果、会社訪問や採用試験だけでかなりの時間が潰されてしまう。まして、アルバイトをしている大学生は、余計に勉強する時間が少なくなる。これは日本がこれから解決しなければならない課題の一つだろう。とにかく、得意な専攻、またはやりたい専攻の大学になっている筈だから、何とかしっかり勉強してもらいたいと思う。

 そんな私は、大学は遊びに行っていたようなものだ。自身の好きな数学や古典、芸術に傾倒していた。これは遡ること小学校から、個性や自由を大切にする学校で学んだからだと思う。今にして思えば「啐啄同時(そったくどうじ)」だったのかもしれない。自分で勉強し、分からないところを先生に聞きに行くスタイルだった。勿論、自分なりに「こうじゃないか」と予測を立てて、その考えが良いかどうかを先生に聞きに行く。そしてただ単に聞きに行くだけだと、先生は、叱りはしないが「ちゃんと自分の考えを持って質問に来なさい」と仰った。この自分で考える癖はとても大きい。当時はディベートのような授業は無かったけれど、議論をする時にも役立った。また、息子も同じ学校を卒業したが、彼は小学校低学年の時、休み時間終了のベルが鳴っても、砂場で遊んでいたそうだ。妻がそのことを担任の先生に相談したところ、先生は「お母さん、心配しないでください。大人になっても砂場でずっと遊んでいる人はいませんから」と仰った。休み時間にはみんなと仲良く遊んで、授業になっても砂場で何かを作っている。そんな息子を見て、何もしないなら授業が嫌なだけだが、授業よりも砂場で何かをつくることをやりたいのだなと、そう先生は判断したらしい。自宅のキッチンには、その長男が書いた絵を今でも飾っている。とても素敵な絵で、その作者の(と言っても自分の長男だが)その時の穏やかな気持ちと、溌剌とした若さが出ている。作者の個性が良く出ている絵だと思う。これも恐らく「啐啄同時」で、個性を伸ばし、自由を尊重した結果なのだろう。

 皆さんの会社組織はどうだろうか。人によっては大学に行かなかった人、大学院まで行った人など様々だが、大田花きの社内ではそれぞれ協調し合って仕事をしている。大切なことは、先述した自由、即ち長所を伸ばしていくことではないか。そして学生の教育と同様に「啐啄同時」で、様々なことに疑問を持って、聞いて、教わって前進する。成長していく。そのような人材が会社で頑張ってくれることが、その会社の成長に繋がる。そして花の会社であれば、花き業界全体の成長に繋がる。こういうことだろうと思う。私の信条は「何でも面白がってやる」だ。困難なことでもとにかくチャレンジする。一段登上がったら、また見える景色が違う。難しいかもわからないが、また考えて体を動かして次の一段を上がる。ボルタリングのように、イモリがしょこしょこ上に登っていくイメージだ。蛇年の蛇ではないが、同じような顔をしているイモリになったつもりで、どうぞ難しい問題に取り組んでみて欲しいと思う。


投稿者 磯村信夫 14:10