「昭和は良かった」ではなく、令和の今、昭和のバイタリティを取り戻す。
その他
戦後の昭和期、都市部では子ども2、3人、両親含めて4、5人家族が世帯の中心になった。地方は子どもの数がそれ以上で、職を求めて都市部に職を求めて出てくる。このような都市と地方の構造があった。その後核家族化が進み、女性の教育レベルが上がるにつれて、子どもの数が減少した。一方で、医療の進歩により乳児死亡率が減少し、高齢者の医療が整っていった。このように現在の日本の人口動態に繋がる兆しが、昭和の後半には見えていた。そして経済の成長とともに、都市部では消費生活が活発になり、いけばなやフラワーアレンジメント教室などが若い女性に人気を博した。また、核家族化に伴い地縁・血縁を中心にした社会生活から、一部地縁を残しつつも、「会社縁」が中心の都市生活になっていった。こういった地域社会の変化に伴い、花の需要はいけばなやフラワーデザイン、冠婚葬祭、そして帰省した時のお盆・正月の花等が支えていた。
昭和末期、大田花き設立を準備した時、私は30代後半だった。コンピューターでセリをするプロジェクトチームは私が一番上で、他は20代後半から30歳が殆ど。このチームで、日本で最初のデジタルセリシステムを導入した大田花きを立ち上げ、成功したのだ。
「昭和の日」を迎えるにあたり、少子高齢化が進む現在の日本において、いつの間にか改革する意欲、現状を否定して前に進もうとする欲求、もっと社会を良くする意欲にかけてしまっているのではないか。経済で言えば、経済学者ケインズの言う「アニマル・スピリット」が足りないのではないか思うのだ。
人は歳をとると大人しくなりがちだ。これはあらゆることの解が中庸にあるから、悪いことだとは思わない。しかし、人口中位の年齢が50歳近くなった現在の日本は、少し大人し過ぎないだろうか。これを打破するためには、30代から40代前半の若い世代が中心となり、新しいアイデアをもたらし、業界や社会全体の発展に貢献することが大切だ 。
この円安は何だ。日本は世界の老齢化先進国として、さらに国際的な競争力を示すために、一層の努力が必要だ。日本が良い結果を残し、少子長寿社会になっても国民は幸せに生活することが出来るのだと、証を示す必要がある。その為には、繰り返しになるが30代から40代前半の人たちが中心になって、新しい力で各業界、国を引っ張っていくことが重要だ。高齢者は肉体的に若い人と話し合い、今までの経験を活かしながら仕事をしていく。こうして日本が直面する課題に対して、積極的に取り組んでいくべきだと、「昭和の日」に思う次第である。
投稿者 磯村信夫 12:50