「市場道」で公正な取引を
花き業界
今、世の中でこの美徳が必ずしも実行されていることばかりではなくなってきた。年賀状を切手代の値上げと共にやめる。それもいいだろう。では年に一回、電子上で西洋のクリスマスカードが頻繁に行われているように、連絡を取っているだろうか。年賀状をやめることで、結びつきをも無くしてしまったりはしてはいないだろうか。「もうひと手間かける」。これが日本人の良いところで、あるいは躾や礼儀で、そこからお互いの気遣いや繋がりを大切にし、自分を後にする美徳が出てきているのではないだろうか。
花市場を経営していると、セリ場では確かに欲と欲とのぶつかり合いだ。一銭でも高い方が良い生産者の代弁者であるセリ人。一銭でも安い方が良い買参人。セリ人は卸の人間だけれども、本来なら公正なジャッジであるべきだ。それがデータとして残り、そのデータはセリ人が公正であればあるほど正しいデータになる。これらを未来予測のための指標として、生産者にその時期売れるものをつくってもらうのだ。安かった時は、なぜなのか。種苗会社が人気の苗を沢山供給し、同じタイミングで色々な産地が同じ品種を出荷した結果、価格が下がった等、いくつか予測がつく。それを生産者と一緒に共有していくのが、卸売市場の役目だ。しかし、卸の人間である限り、生産者に代わって花を販売している。従って手ぜりの時代には、8~9割は「生産者に代わって私が買参人に販売するのだ」という意識でいたように思う。これを反省し、より公正な取引に出来るコンピューターのセリへと変えた経緯がある。
公平なジャッジ、公正、潔さは何か。「潔さ」とは、公開されたセリにおいて一瞬一瞬、需給バランスで値段が決まることだ。このように日本の美徳を前面に押し出す、いわゆる「市場道」としてやっていくことが、「日本の故障しない車」ではないが、長期的にご愛好いただける卸売会社になるのではないかと思う。画像ゼりやリモートゼりも多くなってきた。また、セリにかけられる花自体が減少した。多くの市場でセリの割合が5割を割り、取扱金額30億円以上の卸売会社では、1~2割くらいがセリにかける割合だと言われている。殆どを、予約相対や、セリ前の相対で取引しているのだ。予約相対は契約取引だからまだ良いが、事前の相対では、セリの経験が無い営業パーソンが販売にあたることもある。ここに不透明な値段が発生しないか。需給バランスではなく、力関係による値下げ交渉を卸の社員は受け入れて値付けしていないか。このような市場らしからぬ不透明さがある。なぜ不透明かと言えば、自身のものだったらいくらで売っても構わないだろうが、あくまでも「委託品」の花が殆どだからである。委託の花、即ち「自分に代わって販売してください。今生産経費が上がって、去年よりも高く売ってもらわないと、来年も生産できるか分かりません。だからお願いします」と、去年よりも高く売れることを願って委託してきている生産者の花を販売している。それを力関係で、他市場に比べて安値で仕切ってはいけない。もう一度、日本中の花き卸売市場は「市場道」に徹し、公正に取引を行うべきである。自分の利得を一番にせず、生産者のため、ついで買参人のために、需給バランスを的確に把握して値決めを行う。これを徹底してもらいたい。2030年まで、需要より供給の方が少ないことが殆どかもしれない。この間も「市場道」をもって花を流通させ、そして地元の産地を、お取引先の産地を育成し、花が増えるように努力することによって、日本の花き業界の未来を創っていく。そのような5年間にしていって欲しい。
投稿者 磯村信夫 12:00