物事をこころでみる
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仏さまの花と言えば、江戸時代にキリシタン禁教令が出たため、地域のお寺が区役所の役目を担い、仏教徒や神道の戸籍等を調査していた。仏教徒が多かったことから、今のお墓参りや、家に仏壇を置くというような風習が定着した。明治維新になって王政復古が起こり、神道が前面に出るようになると、お葬式も神道でやることになり、火葬から土葬に変わった。青山墓地や、今でも大きな墓地があるところは、かつての土葬の場所であるところが多い。そしてこれが大正、そして昭和と続くにつれ、仏式のお葬式に代わっていった。そこから、花祭壇や供花の需要、仏壇に置く花の需要等、今に続く仏花関係の花の需要が出てきたわけだ。コロナ以降、特に東京では、直送・一日葬・二日間にかけて行われるが家族葬、これらが中心になってきている。お寺も墓じまい等、時代とともに対応を変えていかなければならない。
こんなことをおぼろげに記憶しているのは、特に21世紀になってからだが、批評家・小林秀雄を研究しているからだ。その小林秀雄についてここ二年、行き詰っていることがある。小林秀雄の「本居宣長」論が読めないのだ。
この私の行き詰まりを解決してくれたのが、東大法学部・苅部直教授の著作「小林秀雄の謎を解く~『考へるヒント』の精神史(新潮社/2023年10月)」にあった。「知覚は私の身体の外にあり、感情は私の身体内にある」。これは誰でも分かることだが、苅部教授の本では、小林秀雄は以下の通りに本居宣長を捉えていたのではと記載がある。 「表面的な感情の動き、すなわち『欲』よりも、さらに深層にある『情』の運動としての『物のあはれを知る』働き。このように人間の心の働きのうちに二重構造があると明確に整理するところに、小林秀雄のとらえた宣長像の特徴があった。」
つまり、その後の宣長の影響力よりも、人としての本質、とりわけ日本人の本質に根差した「知る働き」、本質を見る「物のあはれを知る働き」、小林秀雄はこれを宣長に見出したのだ。このように苅部教授は解釈されているのではないだろうか。これまで、小林秀雄が何故これ程本居宣長を知ろうとしたのか。考えるとモヤモヤしていたが、これで「本居宣長」の批評にもう一度挑戦できる。
市場の仕事をしていると、毎日がドラマのようで面白い。キレが良い生き方をしている人たちが多数登場し、花も植物も登場する。その人生、一生の瞬間を見て、ゆくさきを思いやることも出来る。核に「物のあはれ」を見ていることに気づくのだ。架空ではない、現実の「物のあはれ」である。
投稿者 磯村信夫 16:30