社長コラム 大田花き代表取締役社長 磯村信夫のコラム

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2022年02月28日

3月に向けての心構え


 2月も早いもので、今日でお終い。第9週は3月の始まりといって良いスタートだ。ロシアのウクライナ侵攻で、またコロナ禍もあり、花き需要の冷え込みが心配されたが、3日の桃の節句、8日のミモザの日(国際婦人デー)に向けて動きがすこぶる良い。春の陽気で浮かれているというよりも、ウクライナの市民を想い、一人一人が一日一日を大切に、平和であることの幸せを感じて生きようとしていることが、花の消費の確かさに繋がっていると思われる。

 海外に出て行った人たちへ向けて、ウクライナのゼレンスキー大統領が「もう一度武器を持って私たちと一緒に戦って欲しい」と呼びかけた。その声に応えて、テレビの報道番組ではポーランドの国境の映像が流れていたが、妻子をポーランドに残し、自分はウクライナに戻って戦おうとする市民が長い列を作り、インタビューに答えていた。一方、日本を振り返ってみると、第二次世界大戦後、一度も戦争をしていない世界の中でも稀な国だ。もちろん、戦争はあってはならない事態だ。しかし、平和ボケして命をかけて守るべきもの、達成すべき強い意志を忘れていやしないか。もう50年も前のことだが、学生時代、オランダのブランカフェ(ショットバー、あるいはパブ)でビールを飲みながら、友達とワイワイしていた時のことだ。友人の内の一人のオランダ人が「俺のじいさんは日本兵に殺された。第二次世界大戦の後のことだ」と言った。彼は日本兵のことを恨んでいて、私はその時随分と周りから虐められたものだ。歴史的な話をすると、日本が敗退した第二次世界大戦後、オランダはインドネシアをもう一度植民地化しようとした。インドネシアの独立軍が日本に援助を求めると、もう日本に帰っていた元兵士たちは、もう一度インドネシアに行って共に戦った。そして、オランダから独立を勝ち取ったのだ。申し上げたいのは、我々日本人は、日々の生活の中で勇気を持って守るべきものをしっかり見出しているか。何か上っ面で生きていないだろうか。こう感じながら、ウクライナ情勢を見守っている。花き産業は平和産業だ。これで生計を立てられていることに幸せを感じる一方、経済は既にグローバル化しているから、一定の不便さや値上がりはある。命を取られる訳ではないから、その辺りは甘受しながら、3月の需要期に臨もうと思っている。 

 かつてオランダ人はソ連に、91年ソ連邦崩壊後はロシアに花を売りに行く際、トラックごと盗難に遭わないよう、運転手と助手の二人で、鉄砲を持って花を売りに行っていた。花屋なのだが、まさにフライング・ダッチマンだ。世界の海をまたにかけたオランダ商人たちの末裔の在りようであった。我々花き業界は優しさが必要だが、ある意味で植物を切って切り花にしたり、狭い鉢に閉じ込めたりする。農業全体で捉えれば、畜産等、人が健康に生きていくために必要なものといえども、殺生しながら生計を立てている。人の業と悪は強さであることを併せて考えながら、一本一本大切に、一鉢一鉢を大切に、生活者の手元に届くように流通をさせていきたいと思う。



投稿者 磯村信夫 15:30