社長コラム 大田花き代表取締役社長 磯村信夫のコラム

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2017年04月24日

面倒くさいを愛情に変える


 “面倒くさい”という感情は困ったものだ。手をかけるとその分愛情も湧くのだが、面倒くさいと考えてしまうと結局買わなくなる。この位、我々はレイジーなのだ。例えばソラマメを食べる際、私は小さいものを好む。皮ごと食べられるからだ。大きいものは皮から出さなければならない。最近の柑橘類では、清見オレンジよりデコポンを選ぶ。種がないし、袋ごと食べられるからだ。ぶどうもそう。皮を出しても食べたいと思うのは、好きな巨峰位だ。なぜ自分がこんなに面倒くさがりなのかは分からないが、先日もスイカを食べていてそう思った。

 熊本の復興関連の記事によると、被災地域においては、残念だがメロンやスイカの生産が減っているそうだ。一因として、子どもたちは消費面で種があるのが嫌らしい。スイカは種があって当たり前、「種飛ばし」も出来るという明るいイメージで、機会があれば、親子で種飛ばし競技でもしてもらいたいものだ。

 22、23日に(一社)JFTD主催で開催された「フラワードリーム2017」では、賑わっていたブースの中に、プリザーブドフラワーのアレンジコンテストの場もあった。生きている切花のバラよりもプリザーブドフラワーのバラの方が、変化しない分、価値が持続すると思う方もいるのだろうか。

 生きている切花や鉢物、育てる園芸の苗物等についても、田舎から都会に出てきた団塊世代の人達は、そんなに億劫ではないだろう。一方、舗装された道路や歩道が当たり前で、靴があまり汚れた経験を持っていない子どもたちは、両親から教わったり、幼稚園、小学校の時に教育されなかったとすると、かなりの面倒くさがり屋だ。自分も含め、生きているということは、入れて、出しながら生活し、エントロピーに対して、無機物、有機物でさえも、例え外観を変えながらも、大元はしっかり持続させて、永遠の存在を願うものだ。人間が天から与えられた才能、或いは、心の中の一面を、文化と教育によって窓を開ける。多分、真善美に対する命の欲求だと思う。そういったものを教えることが、どうしても必要だと思う。

 生き物を流通させる花き業界は、もう一度、誰にでも備わっている真善美を求め感動する意識を教育すること、具体的には、①文化、あるいは、文化に根差したいけばなやフラワーデザイン等の手法を添えて販売すること、そして、②科学的な花の効用を、エビデンスを添えて花と緑を販売すること。買ってもらうにはこれらのことが必要だ。また、③植物体そのものだけではなく、入れ物になる花瓶や鉢をどうしたら良いか等、これらも一緒になって販売することも必要だろう。



投稿者 磯村信夫 : 12:46