社長コラム 大田花き代表取締役社長 磯村信夫のコラム

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2017年07月31日

車では成功している、産業化しても人を前面に押し出す


 今年は大政奉還150周年を迎える年なので、司馬遼太郎の『龍馬がゆく』を読み返している。少子高齢化のこの国にあって、縮小しながらも、健全な農業生産と消費がどのように行われていくか。破壊と守文。この視点から、もう一度読み直したいと思った為である。

 大切なことは、人間の幸せに直結する「食と花のある生活」だ。消費という言葉は適切ではないかもしれないが、“文化”を感じてもらう。人が介在した天の恵み、自然のエッセンスを感じてもらいたい。そして、地域経済や国土保全の為、さらに、農業者がいることによって継続する地域の伝統文化の為、農業が持続的に行われることが必要だ。人口減少、高齢化、GDP縮小の中で、地域独特の食文化や花飾り文化に応える為にはどうしても花の専門店が必要で、卸売市場は最小限の数にして、高速道路網に倣い整備していくことが一つの姿であろう。その第一期を2030年とすえた時、産地も消費地にある卸売市場も、当然、数が少なくなっていく。その分、相対的には大きくなっていくだろう。この時に忘れてはならないのは、大きくなるということは没個性となり、社会と直に接しているという感覚が、中で働く人は無くなってしまう。大きいことは多様化ではなく没個性、のっぺらぼうの印象を生活者に与えることが多いということだ。

 今、ベストセラーになっている『定年後(楠木新著・中公新書・2017/4)』という本がある。個人事業主は社会と直接繋がっているが、会社員は会社を通じて社会と繋がっている。すなわち、個人は間接的にしか社会と繋がっていないのだ。従って、定年後に生ける屍化する人が出てくる。ヨーロッパで云われている「3人の石切職人」の一・二番目と同様だ。「何をしているのか?」と聞くと、三番目の石切職人だけが「今度はこの石で教会を建てるのだ」と答えた。だから良い仕事が出来るのだ。この社会性の意識が必要だ。

 農協に出荷する。生産者はここで没個性になってはいけない。また、農協合併して大きくなったからといって、今まで自分たちが培ってきたブランドを放棄して新しい共選共販になってはいけない。大切なことは「社会と繋がっていること」だ。例えば、あるお花屋さんは、カスミソウだったら「○○産のカスミソウが良い」とセリで高値で買い、そして、お客様に自慢して販売していた。それが、「ただのカスミソウ」になってしまえば、没個性で物語もなく、人間関係が薄れるから幸せ度は少ない。「ただのカスミソウ」を買っているのではない。その地域で頑張ってカスミソウを作っている生産者の、その心意気を買っているのだ。お客さんにも、見えないその地域の冷涼な気候や、生産者の苦労を花と一緒に買って貰っているのだ。これをメッセージとして打ち出していかないと、食文化や花の文化は伝えることが出来ない。消費も持続していかない。

 今月の7月も、新しく問屋や格好よく商社としてやっていこうとする卸売市場以外は、前年比で80%台の売上にしかならなかった。菊が暴落し、他の花の物価も下がり、殆ど一ヶ月を通じて安値で取引された為だ。その時、我々花き業界は、消費者に「何故こんなに安いのか、たとえ暑くても、こんなに安いからもっと量を買ってください。お安くします。花は皆さん方を喜ばせる為にうまれてきたのですから、お店で捨てられません。この花はこんなに涼しい所で作られたのです。あるいは、この花の生産地は暑い所ですが、暑さにめげず花を咲かせているのです」と、地名や生産者名をメッセージとして消費者に届け、沢山買って貰う。これが社会性というものだろう。

 売るに天候、作るに天候で、いつも変動している生鮮食料品花きは、人間に必要なもので傷みやすく、変動しているがゆえに社会性がある。その時、没個性ではなく、個人ブランドで、もし面積が小さい場合には、安定供給が出来るようにグループを組んで、出荷チームを1ブランドとして買ってくれる小売店、そして、消費者にイメージ付けることが必要だ。日本は人口が少なくなっていく。従って、一人一人の権限や責任は当然増していく。65歳以上になってリタイアしても、責任は今後もつきまとう。地域の農業者と消費者、準主役の小売店。この人達が、笑顔で気持ちよく仕事が出来るようにする責任は、現在、生鮮食料品花き業界に関係する人間誰もがあると自覚すべきである。

   

投稿者 磯村信夫 : 18:52