社長コラム 大田花き代表取締役社長 磯村信夫のコラム

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2018年06月04日

現代の日本の風習と真善美による行動


 本日、オランダの種苗会社で、スプレー菊のモナリザを育種したデッカー社の方々がセリを見学されていた。日本の菊の品種改良と言うと、イノチオ精興園さんはじめ、夏菊の小井戸微笑園さん等の多数の種苗会社が、世界をリードしてきた。しかし、今の売れ筋はデッカー社の品種も大変多い。愛知みなみ農協さんが各菊部会を乗り越えて作るようになったディスバッド菊は、大田花きのセリ場の、丁度真ん中のセリ台で競っている。このディスバッド菊の単価は、菊全体の相場を決める大切な指標になってきている。デッカー社の方に話を伺うと、そろそろディスバッド菊も、どの品種の苗を多くするか等々、日本の声を無視出来ない形になっているとのことだ。特に日本の四十歳代の人たちの好むディスバッド菊が、ユリやアルストロメリア、トルコキキョウと同様に、世界の消費傾向をリードしていくようだ。

 さて、現代まで続く日本の風習は、室町時代、また、応仁の乱を境目にして形成されてきたと言われている。例えば、食事を二回から三回摂るようにしたことや「幽玄の美」等、習慣や価値観、美意識にいたるまで、今の日本人に強い影響を与えたのがこの時期だ。しかし、確かに色々な風習が出来てきたのは室町以降のものが多いが、実は、大元のものは、それ以前の飛鳥時代の天武天皇治世の影響も大きいのではないかと思われる。例えば、家に仏壇があるのは、天武天皇が全国の家ごとに仏壇を作って、仏像を拝むように言ったものが、今に繋がっているそうだ。更に、天武天皇は薬師寺を建立したり、伊勢神宮の式年遷宮を行うなど、神仏両方に今の日本の原型をつくり、影響を与えた人だ。

 心だけでは見えないから、心を形にして表す。形から心に入る。これが、日本で華道や茶道等の「道」として出てきたものだ。今はどちらかというと、カジュアルなものやざっくばらんなものになり過ぎて、心を具体的に表すことを怠りがちだ。現代は、「気まま」という名の「自由」になってきているが、それは人としてよりも、「動物」としての自分を生きていっていることになりやしないか。「動物」の中でも人として生きていく為には、道を外さず、心を整える。心を具体的に形式として表す。時候の挨拶でも良い。父の日のプレゼントでも良い。このように具体的に心のありどころをきちんと表現することが必要だ。

 現代は、多様化の時代で価値観がばらばらになっているように見える。それをひとつにしてエネルギーを集中させるには、すなわち、「コトを為して」いこうとするには、「真善美」が必要だ。「真善美」の範疇に入る時に、人々の賛同を得て物事が成るということなのだろう。自分の行動やアイデアが、「真善美」とどのくらい関わっているかを考えないと、物事は成就されないのだ。「道」の大切さ、「型」の大切さを、昨日、新宿髙島屋で開催されている「草月いけばな展」を見ていて思った次第である。


投稿者 磯村信夫 16:02