社長コラム 大田花き代表取締役社長 磯村信夫のコラム

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2019年09月23日

本物感


 先週の土曜日、国技館で相撲を観戦した。西のマス席で、立会いのぶつかる音が聞こえてくる距離だ。また、花道に面した席だったから、相撲を見るのには最高の場所だった。ライブでの観戦は会場の雰囲気を直に味わい、感動出来るばかりでなく本物感があり、「真・善・美」が感じられる。

 一緒に観戦した方は「テレビはともかく、ラジオでも持って来れば良かった」と言っていた。行司が差し違えたと思われる取り組みが二番あったからだ。このような場合は、 テレビで相撲を見た方が会場全体や力士の様子、解説もありよく分かるだろう。しかし、ライブでの観戦は、カメラでズームしていないので分からない点が多いといえども、感動に格段の差がある。それは、本物かどうか、勝負をかける人々の熱気や恐れ、そのようなものだ。 また、テレビでの相撲観戦は立会いまでの仕切りが長く感じられるが、実際に現場に行ってみると、「この時間も戦う者にとっては十二分に必要なものなのだ」と分かる。現在、テクノロジーは人間の能力の増強と代替にまで至り、AI(人工知能)は「シンギュラリティ」の時期について騒がれている。しかし、自分の中の真実、ライブでそこにいなければ味わえないものがあると実感した。
 
  翌日の日曜日は、目黒の「ホテル雅叙園東京」で開催されている「いけばな×百段階段2019」を鑑賞した。(公財)日本いけばな芸術協会が各流派持ち回りで作品を展示しているものだ。ここでも、「何故この作品が良いのか」という分析は後になってするのだが、その空間に身を置いただけで「素晴らしい」と思わず感動してしまう作品がいくつかあった。好きなものは二点、いまでもはっきり思い出す事が出来る。

 週末の芸術鑑賞を楽しみながら、よく「イノベーションが大切だ」というが、世の中の様々なイノベーションとは、恐らくこのようなものが結果的にイノベーションとなるのではないだろうか、そう思った。それはイノベーションを起こした人の分野で「こう在りたい」、「こういうものが創りたい」という理想があり、それを実現しようとしたら、偶然に今までと異なるものが出来上がり、周りからイノベイティブと呼ばれるのではないか。こういうことである。奇をてらい差別化を図ろうとするだけでは、情念や熱意といったものが感じられず、人は感動しない。感動しないから購入しないし、使用しないのではないか。売れるにはもちろん理があり、再生性がなければならないが、親和性と新規性、そして本物感も必要なのだ。自身の目的を実現しようとする本物の意識が、その時代の人間にあったのではないか。きっと様々な分野でこれからもあるだろう。こう思った次第である。  

 大田花きが取り扱っている花は、人を幸せにするために生まれてきた。種苗-生産-流通-小売店まで、花き関係業者は確かに生活のために花を扱っているが、全てを「幸せ」という価値観で物事を判断し行動して欲しい。今年のお彼岸のように、小菊が足りなかった時のことを例に挙げよう。伝統に則り小菊を入れた仏花束を生活者が自分の家のお墓に持っていく。これも幸せだろう。しかし、数量が足りないのだから「小菊に代えてこの花をこういうように入れよう」とすると、新しいお墓の花が出来る。消費者に新しい幸せを感じてもらうことも出来る。こういう風にしたら、消費者も小売店も幸せなのではないか。「うばい合えば足らぬ わけ合えば余る」である(「自分は絶対こういう仏花を作りたい」という人がこれを胸に新仏花を作った。それが人々の心にささった。これはイノベーションだ)。協調しながら花き業界の仲間と消費者に幸せを届けるべく働く。こういう価値観による行動に、確実になってきているのではないか。そう感じるのである。少なくても、大田花きの日頃の判断基準は、関係先まで含めた幸せだ。花や緑を、そして手短な自然をもっと多く、一人一人の生活者に身にまとってほしい。その中で生活をしてもらいたい。それは、必ず幸せになれるから。この想いだ。幸せになるために生まれてきた花を取り扱っている業界人が、「売上が足りない」、「利益が出ない」等と歯を食いしばって苦しがっているのでは本末転倒だ。我々、パート、アルバイトの人まで含めて、一人一人の幸せを基準にしてきちんと働くことをしなければならない。仕事も「Well Being」だ。そのような業界を、そして社会を、花に携わる身として国を問わず実現したいと思っている。 

 

投稿者 磯村信夫 15:12