社長コラム 大田花き代表取締役社長 磯村信夫のコラム

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2019年04月29日

未来は創るもの


 このGWは平成最後、令和に向けてのお祝いのGWだ。去りゆくもの、無くなっていくものに対する日本人独特の感情で、人々の心は覆われている。

 平成元年に「大田花き」を設立し、平成2年、大田市場花き部へ入場して卸売の業務を始めた。そして、セリや場内仲卸とのコミュニケーションに初めてコンピューターを使用したことで、日刊工業新聞社と(社)日本ロジスティクスシステム協会から賞をいただいた。このような思い出もあるが、なんといっても平成の間に日本が戦争しなかったことが、私にとって一番の大きな事柄である。そう、仕事上においても、花き産業にとって戦争が無かったことは大変大きい。と言うのも、昭和の時代では日中戦争が大東亜戦争と拡大し、日本はオランダ、オーストラリア、イギリス、アメリカと直接戦った。国内は統制経済になり、食料事情も極端に悪化した。その為、花きの生産はごく一部に限定され、殆ど無くなってしまった。しかし、物故者を弔う花、いけばなの花材は必要であったので、私の祖父が運営していた鉢物市場では鉢の入荷が無く、代わりに少量の切花を大森駅前の市場で取引することになったのだ。戦争になると花の需要が無くなる訳ではないが、本当に少なくなる。その意味で、平成の間、天災が多く悲しみや苦しみも多くあったが、みんなの努力で平和が保たれたことは、1国民としても、花の業務を営むものとしても本当に有り難かった。
 
  「3ディケイド、1ジェネレーション」。30年いうのは、まさに時代の変わり目である。今までの産業革命において、人間は外部に筋肉を求めて作り出してきた。次いで神経系統、そして、“記憶の脳”を外部化した。さらに現在は“考える脳”まで作り出し始めている。ナノテクノロジーや“5G”の発展によって、人間は自分たちの生活を豊かにするために様々なことが出来るようになった。このように可能性が広がってきた「令和」の時代に、私たち花き業界はどうしていけば良いのだろうか。少子高齢化の中において、日本では「生産能力はあるが消費能力が落ちるからデフレがちになる」、「縮小均衡で右肩下がりになる」。こんなイメージをお持ちの方が多いのではないか。しかしそれは、不確実性の時代で未来に対して何もしないとすればの話である。あるいは、今までと同じことしかしないという前提での話である。
 
 昨日の日曜日に近くの商店街をいくつか歩いたが、良い商店街は日配品がきちんと揃うようになっている。旧東海道沿いには、魚屋が一軒だけではなく、二軒以上ある商店街もある。もちろん、八百屋も花屋もある。要するに商店街の機能がしっかりしていることが重要なのだ。話を聞けば、「○○屋さん」が無くなった時、機能を保管するため誰かに入店してもらおうと商店街側で探すそうだ。連れて来られなければ必要な買い物が出来ないと不便がられ、商店街は衰退してしまう。ショッピングモールが繁盛するのは、お客さんの用を満たす為に常に機能を満たすよう、出退店をコントロールしているからである。申し上げたいことは、未来は与えられているのではなく創るものであるということだ。
 
 この不確実な世の中において、未来を創らずして未来があるはずが無い。前提条件は少子高齢化だ。このまま何もしなければ、国内生産減、消費減となってしまう。そうならない為に、自分たちの責任の範囲内で繁盛させることが必要だ。世界ではミレニアル世代に買ってもらうべく、デザインや品揃えを変えている。この世代が買い出したらプラス要因だ。花き業界ではそれが出来ているだろうか。何か未来に向けて新しいことをやっているだろうか。苦手だろうことを解決しているだろうか。ここがポイントなのである。「 未来は与えられるものではなくて創るもの」。令和に向けてこう想いながら、昨日は街を散歩していた。

投稿者 磯村信夫 15:57