社長コラム 大田花き代表取締役社長 磯村信夫のコラム

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2019年07月15日

“思ったよりも宗教的な日本人”と花


 本日は7月盆の盂蘭盆会だ。平日なら仕事を優先し、東京の7月盆は活発に行われない。しかし休日であれば、「○○家」の仏事として執り行われる。先週の13日(土)は休日の人が多いので、迎え火で自宅に亡き父や母を迎え入れ、家族で過ごした人も多いのではないか。私たち家族もそうだ。みんなが集まり、ホオズキや花で盆のしつらえをし、近しい親族と団らんの時を過ごした。

 日本人は自分のことを無宗教と思っている人もいるらしいが、我々の生活の中には宗教的な行事が沢山存在する。お正月に神社へお参りするし、結婚式にキリスト教の牧師様、神父様を呼んで式を挙げる。お盆やお彼岸を大切にし、坐禅を組む。また、旅行のついでに神社や仏閣へ行くことも多い。そして「掃除をする」というのもそうだ。「修行の機会を与えられた」と捉え、一つ一つのことを丁寧に集中して行う。禅の教えを日頃のものとして受け取るのである。更に、あらゆるものに魂があると考え、箒も書類も、どんなものも“トヨタ式”で整理することまで含め、表立っては神道と仏教に根ざした宗教的な生活を行なっている。
 
 この角度から花の使われ方を捉えると、仏壇が無くともテーブルの上に花が飾ってあるだけで、我々の脳の中にある「仏性」を活性化させてくれるように思う。手短な自然と捉えるのか、あるいは、神道に根ざした生き物と見るのか。解釈の仕方によって異なるが、しかし、そこにある花は明らかに、人に生き物としての力強さと儚さ、“もののあわれ”を教えているのである。

 切花も鉢物も、人を幸せにする為に生まれてきたが、人が面倒を見なければ生きていけない。そして、取扱う花き業界人は、生活の為に花を流通販売している。今年も、東京のお盆だというのに、葬儀花・祭壇用の白一輪菊における超安値の取引が続いた。また、全国でも同様の相場展開をするようになって3年以上経つ。この分野の一輪菊は、ラインを生かす波や富士山のようなデザインを造形する時と籠花で使用されていた。これが、家族葬が多くなって規模が小さくなり、また、個人が好きな花や見送る人が好きな花が多く使われるようになり、一定規模以上の、少し離れたところから手を合わせるような祭壇でないと白一輪菊が使われなくなった。生産者の所得や生産上の労苦を考えると今回の安値は心が痛むが、お金を出してくれる生活者が選ばないのであれば、これもやむを得ない。そして、手のひらを返したように全てが新しい使われ方になったのではない。儀式の仕様は徐々に変化するものだが、この傾向はスプレー菊が量的に出回り始めた20年前から起こっているのだ。古い言葉で言えば「シンギュラーポイント」、今風に言うと「ティッピングポイント」を突き抜けて、葬儀で使用される花が多様化している。

 来年こそは、一輪菊の分野において、冠婚葬祭における周年作型の白菊、和服や浴衣の和装の季節作型の一輪菊、そして、イギリス人が好きだったビクトリア調のディスバッド菊と「役割」を分けて生産し、時代が求める需要を満たしていけるようにしたい。日本人は宗教的である。日常の冠婚葬祭等の宗教関係に、今後とも花が使われるだろう。しかし、それは時代と共に移り変わっていく。このことをしみじみと感じた7月の東京盆であった。



投稿者 磯村信夫 11:53