社長コラム 大田花き代表取締役社長 磯村信夫のコラム

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2020年08月24日

専門商社としての卸売市場を意識する。


 この土日、大田花きの前身である大森園芸市場と、仲卸(株)大森花卉の元社員・松尾四郎さん(享年72)の通夜と葬儀が執り行われた。大森園芸市場の時代、松尾さんは赤山(川口の枝物産地)に早朝集荷へ向かう途中で交通事故を起こし、大けがを負ってしまったが、その後は地方市場や大手小売商の代買(代ってセリ買いすること)の役割を担った。一人で五カ所、六カ所もの大手買参人の荷を購入する訳だから、品物を見極める力だけではない、大変な仕事である。今とは違い、昔は一部のセリ前取引(これを「引き荷」といった)が少し許されているだけで、「市場とは公開の場所(セリ)で、みんなで競り合って買うもの。セリ前に荷を引くのは、注文品以外は卑怯だ」というのが、当時の業界の常であった。「セリで買いそびれたらどうしよう」等と思い始めたら、神経が参ってしまう、そんな仕事だ。松尾さんは代買のプロとして、大森園芸では欠かせない人であった。  

 時は流れて’90年、大田市場が開場するのだが、問題が一つあった。地方市場の場合、卸売会社の社員が代買することを許されていたが、中央卸売市場の大田市場では、売る人間と買う人間が同じ会社ではいけない決まりがあった。その理由は、相場の操作が出来るからである。そこで大田市場入場前から、大森園芸市場場内仲卸として大森花卉を発足。大田花きに勤める社員とは別々に準備をし、その後、大田市場の場内仲卸として入場した。また、大森園芸市場には既に仲卸がいた。京橋生花さんは大森園芸市場のセリで購入し、夕市(ゆういち)を行っていた。他にもマルミチ商店の濱田さん、フラワーサービスの平野さん、フローラルジャパンの相原さん、土屋商店の土屋さん、西村商店の西村さん、中央花卉の斧田さん、町田アカシアの隆ちゃん等々の人たちが、大田市場の入場前には、大森園芸の仲卸として活躍していた。当時、仲卸がいる市場は本当に少なく、これらの人はそのまま大田市場の仲卸に入った。

 私は大学卒業後、大森園芸市場へ入る前に、西村藤市社長の京都生花(株)にお世話になり、卸売市場の仕事を仕込んでもらった。京都生花は、卸売市場として何をすべきかが明確であった。それは今で言えば、「データを大切に扱う」ということだ。毎日の取引から統計を取り未来予測をする、あるいは、今の傾向値を分析する等、生産地と小売店の活性化を通じて、花き産業をより活発にすること。これが京都生花の役割だった。また、いけばなや花き装飾全般も大切にし、そこから新しいものを生み出す、発信するお手伝いも市場はするべきだとの方針であった。更に、私が教わったのは、「専門商社的な役割をする」重要性だ。例えば輸入品なら、自分で輸入しなくても良いが、輸入商社に頼んだとしても、海外産地のことがきちんと分かっている必要がある。また、自分で直接売らなくても良いが、何を消費者が好んでいるかどうかを知る必要がある。だから小売店のところにもよく行った。結婚式・葬儀も取り扱う専門店へ向かい、現場をよく見て、そして、何かお手伝い出来るかを聞いて来いと言われた。この経験が今の大田花きにも影響している。

 「専門商社的な活動」としては、当時、輸入商のクラシックさんが、クリザールを扱い始めた時、大森園芸で影響力のある生産者と小売店に、クリザールの前処理と後処理についての効能を使用して確かめてもらった。また、これは大田花きになってからだが、プリザーブドフラワーを日本でいち早く取り入れ、東京都中央卸売市場のルールでは、プリザーブドは部類から言えば関連資材に入るから他の業者に移管した。今は、そのような規定はない。このように、最初から専門商社的な視点で、大森園芸・大田花きを運営してきた。普通の商社である上に、特別に卸売市場のセリ、また、セリに準じた価値観でセリ前取引を委託品について行う。私自身はこう意識してやっていた。しかし、大田市場入場後は、「中央卸売市場の卸売会社・大田花き」と狭い規定で会社や仕事を見ている人がいるだろう。ややもすると、社員の視野が狭くなってしまう。従って、新しい市場法の下で、もう一度、「専門商社としての大田花きである」ことを意識する。そして、その業務の一部として、「委託品のセリ前取引とセリ取引の取引所業務」がある。このように位置づけながら仕事をしていくよう、社内でも取り組んでいく。  

 松尾さんの話に戻ろう。松尾さんは大森花卉で、長年の職人技である出荷する際の荷づくり、そして、品物の見極めを定年まで、また定年後も70まで行ってもらった。デジタル社会の現代ではあるが、全てがデジタル化出来る訳では無い。松尾さんのような“職人技”は、これからも卸売市場においては、生かす場所が沢山ある。デジタル社会の中で、自分を不器用だと思っていたり、時代の変化についていけないと思っている市場の社員がいたら、自分の得意技を生かせるような部署に異動出来るよう、会社に頼んでみても良いのではないか。松尾さんの奥様がこのようなニュアンスのことを仰っていた。「70まで釣りが大好きだったが、それを楽しみに出来るくらい、仕事が充実していました。釣りも楽しかったことでしょう」。松尾さんのご冥福をお祈りするとともに、松尾さんのような職人技を持った方が、まだまだ花き業界には必要なのだと実感している。  



投稿者 磯村信夫 15:59