社長コラム 大田花き代表取締役社長 磯村信夫のコラム

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2021年08月23日

コロナがきっかけで、大きな変化が起こっている


 10年くらい前、今住んでいるマンションに引っ越してきた。このマンションの道路を挟んで向かい側に、私の卒業した小学校があり、ただ今改装中だ。もうすぐ創立150年という歴史のある小学校だが、今度の改装では今まで通りの小学校の部分に加え、公設の高齢者支援施設、子育て支援施設等が併設されるという。今後、このような複合的な施設は重要な福祉となる。共働きの増加で保育所や学童施設も必要だし、高齢者も増加するから、医療を兼ね備えたケア付き老人ホームも必要だ。それらを複合施設にすることにより、お年寄りは子どもたちから活力を貰えるし、子どもたちはお年寄りを大切にしようとする、人としての気持ちが養われるのではないかと思う。

 さて、一律教育を行う小学校のシステムは、産業革命後、工業をより効率的に行うためにドイツで始められたシステムで、世界中が採用してきた。いずれも大量生産大量販売、効率重視、生産性を挙げる等々の、ある意味で規格化した、あるいは、画一化されたものを作り、そして消費する、そのための学校である。そこには、都市化があり、産業化と分業化が進む。日本も今の「GAFA」ではないが、新しい人気企業はいずれもメーカーではない。知識産業、サービス産業、文化産業等、芸術・ソフトの企業だ。従って、小学校の中身をみても、工業社会に適合するような教育内容や科目の設定、あるいは、教室の中での机の配置替え、こういったものまで変えていかなければならない。  

 教育の現場でそのようなことが起きているが、同時に、コロナ禍で多くの人がリモートで仕事を行うようになった。以前ならば、団塊世代は一軒家を望み、早くて30分か、場合によっては1時間半も職場からかかるところに住まいした。専業主婦が多かった時代である。その子どもたちである団塊ジュニア世代になると共働きが増え、もう少し職場に近い、都市部に住むようになった。「あまり通勤時間を取られないところ、そして、子どもを預けられる保育園のあるところ」、という形である。花の需要も同じように移動した。都心から100キロ少しの関東圏の県庁所在地の花き市場では、団塊ジュニアが働き手の中心になってから売上が下がった。団塊世代に花を供給して来た都心から50キロ圏の市場も同様だ。東京都の中央卸売市場花き部が葛西市場、北足立市場、板橋市場、世田谷市場、大田市場と、いずれも県境に出来たので、この市場が団塊ジュニアに向けての花の供給場所となった。しかし、東京の花の中央卸売市場でも衰退が始まる。 

 世の中が変わり、今までリモートでは出来ないと思っていたことが、リモートで行われるようになった。会議だけでなく、各種イベント、劇や音楽等、芸術関係のものもリモートで行われている。通勤も「あのラッシュアワーは何だったのか」と言う風だし、「稟議書にハンコを押すために会社に行くということは、おかしかった」と言われるようになってきた。その結果、地方に住み始める人が増えている。もちろん、業種や職種にもよるが、人々は自然を楽しめる場所に住まいし、そこでリモートで仕事が出来るようになってきているのだ。現にそのような場所の不動産価値が世界中で上がり始めている。ニューヨークやボストン、サンフランシスコやロサンゼルス、もちろん東京やパリ、ロンドン等、名だたる都市部から人が脱出して、新しいワークライフバランスで生きていこうとしている。ここに注目したい。花屋さんでも、今までは生花とドライフラワー、多肉等を扱う先端的な花屋さんは、はじめに南青山近辺から出店されることが多かった。しかし今は、湘南での出店が結構多い。人が移り住んでいる証拠だ。朝、サーフィンをして、家に帰ってリモートで仕事をする。週一くらいは会社に出るといった感じだろうか。都内の花関係の会社でも、「うちの専務は北海道の帯広にいます」なんて会社も出てきている。このように、人がばらけて住み、各地域で文化を反映させて発展していく。こうなっていけるのではないかと思っている。

 「地方の時代」とはちょっと違うが、働き方改革から自然が豊かな場所に新しく人が移動して生活する。ここに時間の使い方も余暇の過ごし方も、明らかに変わってきている。DX化なのか、新しいデジタル社会なのか。これにより人間が本来好む生き方に近づいてきているのではないか。そして、花き業界はこの時代に合う花を供給しなければならない。その為、特に花の小売店には変化の対応が迫られている。状況が変化しているから、小売の場所や業態も変わる。繁盛店のロケーションも、店づくりも販売手法も、違った角度から見なければならないと感じている。


投稿者 磯村信夫 15:53