社長コラム 大田花き代表取締役社長 磯村信夫のコラム

[]

2021年06月14日

食べられて死ぬか、食べることが出来ないで死ぬか


 コロナ禍で、大田市場の周りでもジョギングをしたり、ツーリングを楽しんだり、散歩したりする人を見かける。私も散歩や運動のコースを作って色々なところを回っているのだが、自分の住む「大田区大森」という街が、こんなに広いとは思わなかった。私はJR大森駅のすぐ側に住んでいるが、大森駅から品川方面に向かえばすぐは品川区大井だ。区境に住んでいるので、大森の東や南の方が、こんなに広いと思わなかったのだ。その意味で、今回のコロナ禍は日本国民の皆さん方にとっても、地元をよく知る1つのきっかけとなったのではないだろうか。

 さて、散歩で公園の木々を見たり、運河にいる魚や鳥を見るにつけ、「死」には二種類あると思う。食べられて死んでいく「死」と、食べることが出来なくなって死んでいく「死」の2種類だ。下草のように生えていたのが、上の木が育ってお役御免になり、死んでいく植物。ボラの子どものハクか、もう少し大きくなったオボコだろうか。あんなに群れを作って泳いでいるということは、最初から食べられてしまうことを想定して沢山の卵を産み、また、みんなで群れを作って生活しているのだろう。もう一つの食べられなくなって死んでいく「死」というのは、公園でもどこでも、年を取って立ち枯れてしまった木や、松くい虫の松、寿命だと思われるソメイヨシノ等のことだ。そして、これは大きな動物も人間も同様だ。人間の場合、免疫力が弱まり、細胞再生の誤動作が起きてくる55歳ごろから、病気で亡くなる人たちが増えてくるが、これはそれ以上生きていくことを、人間の進化の中であまり計算に入れていなかったのではないだろうか。このように、路上で大きめの生き物が死んでいたり、枯れてしまった植物等、色々なものをみると、何らかの形で食べることが出来ず、死んでいくのが分かる。

 これは企業体のこととして捉えても、同じことが言えるのではないか。群れを作ってやってきた中小零細企業が、それぞれより大きい企業に食べられて収束していく。また、今、卸売市場の卸・仲卸が、営業利益の減少で食べられなくなっているのは、老化が進行するような、今までと同じやり方でマンネリ化や傲慢さを招いてしまった結果かもしれない。これでは世の中から見放されてしまう。もう一度、自身の会社が社会に求められている役割を真剣に考え、アフターコロナに備える必要がある。そして、時代が変われば、企業が生きていく環境も変わる。自分の会社を新しく定義し直して、その目的にふさわしいやる気と能力を持った、また、社会倫理を持った有能な社員に入ってきてもらえれば、その「企業」という生き物は長生きし、繁栄していくだろう。このように散歩していて思う。新陳代謝・進化だ。

 散歩をするだけで、自分の身の回りにこんなにも多くの死が、そして同時に、新しい命が生まれていることに気づく。そこから、「では自分の会社は、また自分はどんな命の使い方をするか」。今あるチャンスをモノにするために考える大変良い時間であろうと思う。  


投稿者 磯村信夫 13:15