社長コラム 大田花き代表取締役社長 磯村信夫のコラム

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2017年11月20日

冬支度


 一気に寒くなって、街のクリスマスの装いが似合ってきた。しかし、日本では「勤労感謝の日」まで、アメリカでは「収穫祭」までは、“実りの秋”を楽しむ時期だ。花き業界においては、「勤労感謝の日」の前日である「いい夫婦の日」のキャンペーンを行っている。

 ヨーロッパで成功しているような、麦とホップで作った今年のビールやボジョレ・ヌーボー。この“実りの秋”の演出が難しい。団塊ジュニアの人達が、ここに乗ってこないからだ。多分、彼らは農業から随分と離れてしまっているからだろう。日本もそうだが、今までの暦は、農業社会を前提としたものなので、11月に行事が多く、12月はお正月まで一休みのサイクルだった。それが、商業経済やサービス経済の時代になり、どういう切り口で売りこんだらよいか、迷っている様子が街を見ていてもよく分かる。特に良いアイディアが浮かばないので、我々花き業界は、「いい夫婦の日」と「勤労感謝の日」をセットにして、バラを中心に売っていこうではないか。

 自分のことで恐縮だが、大田花きの前身である大森園芸は、都内では横浜に最も近い大手市場だった。『汽笛一声新橋を』の頃から大森駅があり、日本の考古学発祥の地である「大森貝塚」は、駅近くの線路脇にある。明治の大老やビジネスマンは、この大森や、次の住宅地である神奈川の鶴見に住んでいた。もちろん、横浜の経済に特化した人は、“山手”と呼ばれる元町の上の方や、屏風ヶ浦近辺に住んでいる人も多かった。そして、大森には、“ジャーマン通り”と呼ばれる道が残る通り、ドイツ学園があった。今ではアメリカの食べ物になっているハンバーガーやホットドックは、ドイツ系のアメリカ人が最も多いことを示している。そのドイツ人たちは、当然、クリスマスツリーにこだわる。また、嘗て米軍のホテルとして存在した赤坂の山王ホテルや、六本木の米軍基地、そして、横浜本牧、横須賀の米軍基地。こういった場所にクリスマスツリーを納品する花屋さん達が、大森園芸でツリーを仕入れていた。さらに、米軍はアジア圏から中近東までのベースに、日本のクリスマスツリーの輸出を特定の花屋さんに依頼した。飛行機は羽田から出るので、羽田の花屋さんである吉岡さんが一手に取り扱っていた。当時、大量のクリスマスツリーを買っていたのが思い出される。戦後70年、モミの木やモミ枝、ここ20年ではヒバ類、リース(特に手作りリース)、ここ1、2年ではスワッグ等、フェイクでは無く、本物を飾る人達の飾り方も随分と変わってきた。しかし、時代と共に飾り方が変わり、ツリー市そのものは小規模になったが、ツリーや切枝、あるいは、根巻物、そして、ヒバ類や宿り木等を入れると、トータルの取扱金額は、ピークの時と毎年変わらずきている。今年の17日(金)のクリスマスツリー市も、小規模ながら盛況だった。

 クリスマスの飾りと併せて「今年良かったな」と思うのは、オーストリア、スイス等、アルプス周辺部や北欧等で冬に楽しまれている、ドライ系のものや、ネイティブ系のものの売れ行きが、都心部を中心に本格化する兆しが見えていることである。グローバルとローカライズ、すなわち、「グローカル」に生きるということはこういうことであると、クリスマスや11月下旬の花材の売れ行き具合をみるとつくづく思う。多様性と均一性、これが、花の分野でもしっかりと見てとれる昨今である。

 話は変わるが、今年11月のオランダ・アルスメールのロイヤルフローラ・ホランドのフェアは、景気の良さも手伝って、世界各国から大勢の業者が集まり大盛況だったそうである。次の日本の花き業界を作っていく上で参考にしていきたい。


投稿者 磯村信夫 : 16:13