産地ウンチク探検隊 生産者が語る花に対する熱き思いをご紹介します。

2017年02月27日

vol.117 番外編:みやび花園さま×世界遺産富岡製糸場


前回のみやび花園さまの番外編です。
お楽しみまでにご覧いただけると幸いです^^

みやび花園様から8-9キロほどのところにある世界遺産富岡製糸場について少しご紹介させていただきます。

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◆富岡製糸場◆
1872(明治5)年にこの富岡の地に、日本で唯一の官営製糸場である「富岡製糸場」が建設されました。(145年前)
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欧米の列強諸国に追いつこうと国を挙げて近代化、殖産興業に奮励。とりわけ輸出の花型、生糸による外貨獲得は急務であると、フランス人技術指導者ポール・ブリュナを招き、器械を導入した工場制手工業による大量生産を実現しました。県内外からは女工を募り、量・品質ともに日本一、あるいは世界一の生糸製造を誇る製糸場に発展していったのです。
女工の繰糸の技術の高さは、ランク付けされ、給与にもその等級が反映されたというのですから驚きです。
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富岡製糸場内には、推定樹齢120-130年と思しき松やサルスベリなどが丁寧に管理されながら、いまだ健在。このような力強い植物を拝見すると、人々が植物に神秘性を抱き、崇拝の対象にすることさえあったのもわかるように思います。
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ところで、なぜ官営製糸場の建設場所に富岡を選んだのでしょうか。
それにはいくつかの理由があるようです。

① 養蚕が盛んな地域で、且つ横浜へのアクセスが良い
全国に養蚕が盛んな地域はほかにもありました。
群馬県のほかに福島県(現在の中通り北部)、長野県、埼玉県、山梨県などの北関東・甲信地方、福井県、滋賀県、京都北部の日本海側地域など。しかし、輸出の窓口である横浜へのアクセスを考えると、北関東や甲信地方などの地域に候補が絞られました。
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↑お蚕様、気持ち悪いって言わないで~!彼らはシルクを吐き出すまさに金のなる木。 アタクシも小さいころは、毛虫・イモムシは決して触れませんでしたが、お蚕だけは触ることができました。お蚕の“お肌”もシルク生地のようにすべすべなんですよ~!

② きれいな水を豊富に入手できること
製糸の過程で何基もの大型ボイラーで繭を煮る必要がありました。富岡製糸場のすぐ脇に鏑川(かぶらがわ)という利根川水系の一級河川が流れています。この鏑川から大量に水をくみ上げることができたのです。

③ 石炭が採れる
製糸場を稼働させる蒸気機関の燃料となる石炭が近隣地域の吉井や高崎で採れました。

④ 大規模な土地を確保できる
国が建てた日本の工業を近代化に導いた富岡製糸場。となれば大規模な土地が確保できることが絶対条件。長さ140メートルある操糸所は製糸場としては当時世界最大。
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場内模型。
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⑤ 地元住民の賛同を得られた
これが大事。日本の工業近代化のために、ポール・ブリュナ(フランス)をはじめ多くの外国人指導者を現地に招きました。スポット的に訪問するのではなく、そこに住み込みで指導するのです。つまり、その地域に外国人を招き入れるということ。また大規模工場の建設という点において、住民の理解と同意が得られたことが大きかった。

そのほか、富岡の気候風土も絹産業には好適でした。冬でも積雪が少なく、冷たいからっ風が吹く乾燥地。
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このことは繭の貯蔵上、重要な条件でした。
また、一説にはポール・ブリュナのフランスの故郷の景色と富岡の景色が似ていたとも言われます。



富岡製糸場の正面から続く道に、地元紙の上毛新聞富岡支局がありました。ギャラリーで出入り自由でしたので、声をかけられるままに足を踏み入れてみました。
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こちらの支局はみやび花園様がフラワーオブザイヤーOTA2016をご受賞されたときに、上毛新聞に掲載してくださったというご縁も。
ギャラリーにいらした記者さんは、新聞に掲載されたみやび花園さまのパンジーを覚えていらっしゃいました。
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すると、なんとも貴重な絵画を拝見することができました!
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この絵、みなさんも教科書でご覧になったことありませんか?
歌川国輝が創業当初の製糸場内部を描いた錦絵です。「上州富岡製糸場之図」といいます。
このギャラリーにある絵は、原本そのもの。しかもフレームやガラス(当時フランスから輸入したものらしい)も、当時のままに保存されています。

教科書の掲載ではわかりませんでしたが、こうして原本を目の前によく見ると、富岡製糸場で働いた工女たちの表情がよく伝わってきます。意外にもニコニコしているではありませんか!?
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「女工哀史」(※)に描かれたイメージから、女性たちは大変過酷な労働を強いられたと思ってしまいますが、富岡製糸場で働く女性たちは大変朗らかで優しい表情をしています。むしろ、難しい顔をしているのは男性陣ではないかと思うくらいです。
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※「女工哀史」は紡績工場(綿・羊毛・麻などを紡ぎ糸にする)で働く女性のルポ。過酷な労働を描いたものですが、生糸(絹)を作る富岡製糸場はそれとは一線を画す環境だったようです。しかし、実際、現代まで存続する会社は製糸会社より紡績会社の方が圧倒的に多いというのも面白い違いです)
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洋服を着ているのは、ブリュナのような外国人指導者、和服を着ているのが日本人の統括部隊であると上毛新聞の方が教えてくださいました。
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こちらはみやび花園様の近くを走る上信電鉄の線路。
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富岡製糸場でできた絹を高崎まで運んでいたので、シルクトレインと呼ばれます。
高崎に運ばれたシルクは八高線(八高線、八王子と高崎を結ぶ電車)で八王子に運ばれ、八王子から横浜まで横浜線を使い運ばれ、横浜から世界に輸出されました。横浜までの路線はいずれも生糸を運ぶために明治時代半ばに建設されたものです。



このように繁栄を極め、日本の近代化に一役買った富岡製糸場が操業を停止したのは1982年2月26日、ちょうど35年前のことでした。
(時間が止まった富岡製糸場)↓
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そのような地域で農業をされていたみやび花園佐藤さんのお父様ですから、富岡製糸場が閉場したといえども、尚、養蚕地帯の中心で花を作ろうなんて、佐藤さんご自身には相当な思いや信念、情熱と覚悟があったに違いありません。
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パンジーとは、フランス語のパンセpensee「思い、考え」が語源。パンジーが下を向いているので、頭を垂れて物思いにふけっている人の顔のように見えるからなのだとか。
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米麦養蚕の三大農業が当然のこの地で、当然を選ばず、環境や時代に流されず、自らの思いと考えで生産品目を選んだ佐藤さん。その佐藤さんが選んだ品目こそ、「思い、考え」が語源の言葉パンジーというのは、偶然よりも必然だったように思えてなりません。
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ちなみに今年の秋、設立から145年の時を超えて、富岡製糸場の物語が映画となってお目見えします。
その名も『紅い襷』(あかいたすき)。
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企画:富岡製糸場を愛する会、企画製作:群馬県富岡市、制作協力:NHKエンタープライズ
ご興味がございましたら、ご覧くださいませ。

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写真・文責:ikuko naito@hanaken